JAPONismeVol.31-2023年春「つなぐ~文化のリレーランナーたち」
2023年3月1日発行 第31号
CONTENTS
- 「眠れぬ夜の釈迦がたり」大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 【巻頭スペシャルインタビュー】日本の文化力って、なんだ 佐渡裕
- 「美」をつなぐ 翁みほり
- 「風土」をつなぐ 寺田豊
- 「型」をつなぐ 榎木孝明
- お知らせ ジャポニスム倶楽部
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈二十三〉山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 祝 文化庁京都へ
今号の試し読み:「風土」をつなぐ 京絞り寺田主宰 寺田豊
――きものは農業。日本の土、水、風が生み出す草木の色を未来へ。
「きものは農業、なんです」と開口一番。耳慣れぬ言葉に少なからず驚くが、なるほど、説明を聞くほどに納得。蚕がいないと絹はとれないし、その蚕を育てるには桑畑がいる。染料も同様に、寺田さんの手がける草木染めの絞りには、藍、紫根、丁子、梔くち子なし……等々、大量の植物、草根木皮が必要。その栽培にはやはり、それらを育む地の、土、水、風、そして人の手が欠かせないのである。
幻の染料
日本茜の復活
京絞り寺田の主宰、寺田豊さんの仕事を説明するのは、ちょっと難しい。古くは正倉院におさめられる奈良時代の「紋裂」にはじまり、安土桃山の「辻ヶ花」、江戸元禄の「京鹿の子」など、歴代の女性たちの装いを彩り、今につながる我が国の絞り染め。その数々な技法を駆使したきものや帯、小物類をつくり、国内外での展覧会に出品、と聞くと「作家」という肩書きが思い浮かぶが、さにあらず。かと言って、自ら絞りを括る職人でもない。たとえば、きものをつくるとして、まず柄を起こし、その柄をどのような絞りの技法で表すかを考え、色を決め……と、きものの設計図のようなもの(雛型)をつくる。そこへそれぞれの専門職が関わり、その技を結集させてひとつの形に仕上げてゆく、いわばプロデューサー。本来、染色もまた彼の仕事ではないが、最近は庭に釜を設え、干し場を作って自ら布を染める。それはこだわりではなく現実問題ゆえ。化学染料であれば請け負っても、時間がかかる上に染め具合も安定しにくい、つまり非合理的で商業ベースとして成立させ難い絞りの草木染めを引き受ける職人はいないのだという。
ならば自分でと祇園祭の鉾町に構えていた店から転居。マイペースを貫ける地で、日本特有の風土に育まれた草木による染色に力を注ぐ。すると不思議なことに、類は友を呼ぶというか、寺田さんのエネルギーが同志を引き寄せるのか、その色の世界は新たな展開を見せ始めることに。それが幻の染料と言われる「日本茜」はじめ、「紫根」「二葉葵」「日本橘」など、万葉集にも見受ける日本古来の植物染料でありながら、手軽な化学染料や輸入ものの台頭で今やほとんど栽培されず、忘れ去られようとしていた日本の色の復活、普及への活動である。
「京都の奥の美山で、日本茜を栽培なさっている渡部康子さんという方がいらして。別に、最初から茜を育てようと思って始めたわけやないそうです。美山の自然を生かした地域活性、放棄農地の利用に、たまたまそこで自生していた日本茜を見つけ、この茜の根っこはイノシシや鹿は食べない、獣害がないというのもあって、畑を作ってやっておられる、ご苦労して作付けに成功された、というのを知り、じゃあ絞りの染色に使わせてみてください。それを実験台にして、美山の日本茜の存在を全国に広めていきましょうよ、と──」
そうした経緯で日本茜復活プロジェクトの立ち上げたのが2014年、そこから染料として使えるものの収穫ができるまで、数々の曲折を経つつ、日本茜で染めたきものや組み紐など工芸品の展示会が初めて実現したのが2020年。いくつもの季節が巡る長い道のりである。その間、寺田さんは約束通り、日本全国の染色家に声をかけ「日本茜」という幻の染料の存在をアピール。栽培者、つまり「農」の側の人たちと、伝統工芸を生業とする面々をつなげてゆくことで、日本茜の栽培を、仕事になる、持続可能な農業にしてゆくためのシステムをつくることに協力、奔走した。
惚れ込めるものを
つくる工夫と覚悟
「小さな畑で、ボランティアで、ワークショップで使う分だけの栽培、といったものなら日本中にいくらでもあるんです。けれどそれでは長くは続かない。どれだけいいものを作っても、出口がないとアカンのです。買って使ってくれる人がないと」
その信念に根ざす活動は、ものづくりを生業とする人々の共感を集め、仲間の輪はじわじわと拡大。出雲の紫根、福井県鯖江の二葉葵、静岡県戸田の日本橘等々、この国の風土、「農」としっかり結びついた、日本固有の色の復活は静かに進んでいる。「二葉葵」に関しては、京都の歴史ある祭礼「葵祭」に使うための栽培ではあったが、その葵がじつに美しく優雅な色を発色。鯖江市有志の全面協力のもと実現した〝染料としても価値があるとの発見〟が栽培の促進にもつながって、葵祭のシンボル「二葉葵」がプラスチックの模造品になってしまうかも、という危機をチームパワーで救ったという。
とはいえ、昔とは生活スタイルも変わり、和装の需要は明らかに減っている今、その「出口」、つまり販路は、この先も確保し続けてゆけるのだろうか。
「確かに、お嫁入りの道具として箪笥を埋めるような、いわゆる箪笥の肥やしにしてしまうきものの需要はなくなっています。けれど不思議なもので、心奪われて明日にでも着たい、そう思わせる魅力があれば、着るのに手間がかかるとか、着る機会がないとか、高いとか、そんなものは全部吹っ飛ぶんです。そこまで惚れ込んでもらえるものをつくる工夫と、それを続けていく覚悟があれば──」
そして寺田さんは、こう続ける。復活、復元に携わってはいるが、どこかへ〝戻ろう〟とするとおかしくなる。意識は常に未来に向けて、何ができるのか、を考えて動いていくことが大事だ、と。
自然のめぐり、天地の恵みをその身に吸収して育つ植物。その草根木皮で染められた布は、化学染料で発色するものとは違い、数百年を経てなお、布そのものが光を放ち続けるのだという。そのように美しく力強い布、工芸の息づく国であり続けるために、私たちがなすべきは何か。冒頭の寺田さんの言葉「きものは農業」という定義を、今一度、思い返してみたい。
寺田豊(てらだ ゆたか)
京絞り寺田主宰
1958年京都府生まれ。祇園祭の山鉾で知られる「船鉾」の町内に続く絞り工房の4代目(現在の工房は大徳寺町)。伝統を受け継ぎつつ、従来の技法、染色法におさまりきらない創作活動が注目を浴び、国内外で個展やコラボ展など多彩な展示会を開催。その作品はパリ国立ギメ美術館に購入・所蔵されるなど海外での評価も高い。
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