ジャポニスム振興会によせて

「ジャポニスム振興会」への期待の声を紹介いたします。
下記、敬称略にて、日付の若い順から紹介させていただきます。

平成27年3月1日

アーティスト 宇崎竜童

私は幼い頃、アメリカに憧れた人間の一人です。
米国人になりたかった人間といっても過言ではありません。

当時は、アメリカ文化が日本に流入し、様々なモノ・コトがアメリカナイズされた環境だったのです。御多分に漏れず、アメリカ文化を吸収し、特に音楽ではR&RとPOPSに大きな影響を受けました。

しかしある時、美空ひばりの歌に触れ、涙する自分を発見し、私はれっきとした日本人なのだと悟り、それからは日本語の美しさや繊細さ、日本の音楽の豊かさを認識するようになり、和心が持つその響きに魅せられていきました。
コンクリートに囲まれた都市生活者の自分にとって、和の匂いを嗅ぐにはアスファルトを剥がしその下にある土を掘り返さなければなりませんでした。

これを音楽で演ってみようと結成したチームが竜童組です。

音楽活動をやっていくなかで、日本の各地でお祭りに参加する機会を得ました。地域の人達が踊り・歌い・奏でる事で自然の恵みに感謝を表し、「祭」り「祀」るとは神仏と深い深い関わりがある事も遅まきながら知りました。

ニッポン放送「ジャポニスムマイスター」で半年の間にお会いした方々は皆さん素敵な和心の持ち主でした。伝統文化の素晴らしさを伝える為に演奏活動し学校に出向き指導も行っておられることも知りました。

自分も若い頃そうであった様に、若者の多くは西洋文化に憧れていますが、誇るべき和のオリジナリティ、日本文化のパワーを受けとめるチャンスを大人たちが設け、指導する事で和心を磨くセンスを身につけられたら何と素敵でしょう。

日本の将来を背負って立つ若者達に「日本のプライド」を磨く“場”を“機会”を提供するジャポニスム振興会に期待しております。

平成27年1月17日

能楽大倉流小鼓方 十六世宗家 大倉源次郎

昨年10月8日に開催されたジャポニスム振興会東京公演「能の来た道、日本のゆく道」は東京能楽囃子科協議会初の受託公演として『能楽の魅力を囃子の立場からアピールする』という主旨の元、開催させて頂きました。

見て、聞いて、実際に体験して始めて能楽囃子の楽しさを感じて頂けた事と存じます。
能を知るということは日本の芸能の全てに通じる『鍵』を握る事とも言えます。今回の体験を元に鑑賞の間口が広がり、より深い能楽の世界を通して「人」とは、「日本」とはを感じて頂ければ望外の喜びです。

能楽はお客様と共に創り出す一期一会の舞台芸術です。素晴らしいお客様と共に今回の機会を与えて頂きました貴会に深く感謝の意を表し、より良いご縁を深めさせて頂けます様、更なる精進を勤めさせて頂きます。

※東京能楽囃子科協議会は東京で活動する能楽囃子方78名の玄人が所属し、4人の人間国宝、9つの流儀の家元(家元預かり)を擁するプロの集団です。

平成26年11月17日

観世流シテ方能楽師 柴田稔

この度は東京サロンの催しに能を取り上げていただき、誠にありがとうございました。
今回は三回のシリーズによる講座が与えられましたので、能の変遷、能の核となる世阿弥の教え、能の大きな特徴とも言える能面と装束の紹介と、そして謡と舞の実技等、能を多角的に紹介できました事は大きな意義があったと思っております。
また能面の作家の石塚しげみさんにもご出演をいただき、お持ちいただいた能面を実際に手にし、顔に当ててみると事ができたことは、ことのほか良い体験になったようです。聴講された方々もとてもご熱心で、皆さん能へ強い関心をお持ちなのだと知らされました。良い緊張感のなかで話を進めることができたのはとてもありがたかったです。
私ども能の役者としましては、何よりもまず良い舞台をお客様にお見せすることが第一の使命ですが、いかにせん、能の普及率は極めて低いのが現状です。敷居が高いとか、格式張っているとかということで、どことなく敬遠されています。その理由は様々考えられますが、日本の伝統芸能の能を維持し、次世代にも伝えていくためには、地道な普及活動がまず必要だと痛感しております。お客様あっての芸能ですから、能をもっともっと開放し、身近なところから広めてゆき、特に小学生や中学生の次世代を担う子どもの時期に能を知らせることが大事なのではないかと思っています。いくら能がユネスコの世界文化遺産に登録されたからといって、日本人が能を知らないのでは話になりません。
「東京サロン」は、日本の文化の発信源として活動されてゆくと聞き及んでおります。とても素晴らしいことだと思います。われわれ個人的には、日本の伝統的なことにしろ、現代創作にしろ、知らない文化がいっぱいあると思います。未知なる世界の出会いのきっかけを提供されていく「東京サロン」の活動は、とても重要な位置づけをもって社会に歓迎されることだと思います。私も力及ばずですが、積極的に応援したく思っております。
最後にこの度の能の講座に関しまして、ご協力いただきましたスタッフの方々に心より御礼申し上げます。

平成26年11月14日

筑波大名誉教授 三井秀樹

「クールジャパン」とジャポニスム

世はまさにクールジャパンのブームに湧いています。
このクールとは、海外に発信する日本文化がカッコよくセンスがよいという意味です。
世界中が今、日本の文化・芸術に対して熱い視線を向けています。このクールジャパンは別名「カワイイ文化」とも呼ばれていますが、当の日本人は半ば当惑気味というのが本音でしょう。
ところで日本文化の何が「クール」なのかといえば、それは日本のアニメ、マンガ、ゲームやフィギユアからJポップ、若者ファッションなどのポップカルチャー、つまり大衆文化なのです。
元来、西洋における文化の王道であった高尚な絵画・彫刻や文学・舞踊・音楽などのハイ・カルチャー(高級文化)ではありません。どちらかといえば庶民が日常的に愉しむメディアであるロー・カルチャー、つまりサブカルチャーばかりなのです。

このクールジャパンといわれる日本文化の潮流の源を辿っていくと、今から150年程前の幕末、日本から西洋に大量に輸出された浮世絵にいきつきます。
浮世絵の表現性が当時の印象派の画家たちに影響を与え、彼らの画風に革新的な変化を与え、ヨーロッパ全域に日本文化の影響「ジャポニスム」旋風を起こしました。
世紀末になると、さらに日本風の意匠や装飾美術がアールヌーヴォーという装飾美術の流行に繋がります。これら一連の日本の美学は、20世紀の近代工業化を迎えた欧米にアールデコという産業デザインの流行に引き継がれました。
このように考察しますと、日本人の美学が近代西洋に与えた影響は、文化・芸術はもとより、日常生活における衣食住の広範囲にわたっているのです。

戦後、欧米は日本文化を黙視しようとしました。ジャポニスムといえば、「フジヤマ、桜、ゲイシャ」などと揶揄し、日本人の尊厳を踏みにじりました。
しかし、1970年代に入ると日本経済は不死鳥のように蘇り、カメラ、フィルム、造船、自動車など高品質の製品に加え、日本のファッションが再び注目を浴びるようになりました。
これが第二の新しいジャポニスム、つまり「ネオ・ジャポニスム」です。
その後、1980年代に入ると「失われた10年、あるいは20年」といわれる長い経済不況に陥り、日本全体が沈滞ムードに覆われてしまいます。
ところが21世紀に入ると、海外から再び日本文化の流行が再来しました。
これが「クールジャパン」とよばれ、そのコンセプトは「日本文化芸術」はクールで、すべて「カワイイ」と評価され現代に至っています。
こうした日本人の日常生活の身辺の美を辿ってみますと、かつての西洋の貴族やブルジョアたちの文化と異なり、すべて庶民が暮らしの中で、普通に愉しむメディアや生活スタイルばかりなのです。
日本が世界に向けて発信できる、誇り高き文化・芸術「美のジャポニスム」という何にも代え難い「ソフトパワー」という日本の国力を見直しましょう。

この度、発足した「ジャポニスム振興会」の活動の原点は、恐らくこうした私の信念とも相通じる指針であり、教条的な専門領域に止まることなく、広い視座から「ジャポニスム」を啓蒙していくことを願っています。
昨年、2020年の東京オリンピック開催が決まりました。また和食も世界文化遺産に登録されました。
今、日本は、「文化芸術立国、日本」を掲げ、官民共々日本のソフトパワーを世界に向け発信していこうとしています。
私たち自身も、今一度身辺を見直し、改めて日本の美を磨きあげようではありませんか。

平成26年11月6日

能楽一噌流笛方 一噌幸弘

約600年も前の芸能が存続している文化は世界を見渡してもそう多くはありません。
それは世界に誇れるものです。
ジャポニスムの世界へジャポンと飛び込もう!

能楽観世流シテ方 坂口貴信

日本人は生まれながらに、無限ともいえる文化を背負っているように思います。
様々な公演や、企画を通して、日本文化は元より、日本人とは如何なるものか、知りたいと思っております。

平成26年10月29日

茶人 北見宗幸

日本にいることで、様々な日本文化を知ることができますが、実際に味わうことは何かの縁がないと中々出来ないことであります。
その縁を導いてくれるのがジャポニスム振興会であると感じております。
東京サロンのシリーズ”日本文化の真髄”では、3回にわたって「茶の湯」の講座をもたせて頂きました。茶の湯の話でありながら、能・歌舞伎・雅楽から日本人の美意識にまで展開してしまうのも、ジャポニスム振興会での講座らしさでありました。
日本文化は、ひとつに触れるとそれ以上を知ることができます。
是非、ジャポニスム振興会から沢山の日本文化を受け継いで下さい。

平成26年10月25日

画家 中堀慎治

2000年というミレニアムが開かれ、すでに14年が経とうとしている。
1989年にバブル経済が弾け日本経済は奈落の底に落ちた。
この25年、目まぐるしいスピードでいろいろな価値観が変化していったのを多くの人が目にしている。しかし、日本の文化に目を向けその発展に寄与している人達は私の記憶では確実に大きく減っている気がする。
果してこの先にあるものは何か。。。
文化はそこに住む人々のアイデンティティ(自己の存在証明)であり、未来を展望する為の道筋を照らす光でもある。
ジャポニスム振興会が発足した事は裏を返せば危機の表れである。
私達は過去と未来の人々の中間に位置するバトンランナーであり、未来の日本人に文化というバトンを渡さなければならない義務がある。
ジャポニスム振興会の活動は始まったばかりであるが、その活動を通し、一人でも多くの人々に道筋を照らす光の輪を灯していかなければ未来の日本人は暗闇に彷徨うだろう。