JAPONisme Vol.28 – 2021年夏・秋「古典の日」
2021年11月1日発行 第28号
CONTENTS
- こころの道標(みちしるべ)大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 古典は嫌いですか 小林一彦
- 「愛」なさゆえの―角田光代さんに聞く、源氏のあとさき
- とにかく共感の嵐。 イザベラ・ディオニシオ
- イマドキの古典
- 古典のお好きな皆さんへ
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈二十〉山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 六条山のたから筥⑯
今号の試し読み:古典は嫌いですか 小林一彦
高校教育から古典が排除されつつあるという。生産性がない、実社会で役に立たない、それが理由らしい。係り結びは「こそ」だけ文末が已然形になる、下一段活用は「蹴る」の一語しかない、そんな暗記の繰り返しが古典の授業なら、生産性どころか、夢も希望もないだろう。若い世代が嫌いになるはずである。
これとは別に、男女差別の価値観が刷り込まれ害悪である、という主張まであるそうだ。ここまでくると言いがかりも甚だしい。女性の地位が低かったのは、明治の近代化から戦前までの大日本帝国憲法の時代である。それ以前の女性たちは、ずっと自由だった。
平安時代の恋愛は、男性が女性に求愛の和歌を届けることからはじまる。恋文である。無視されたり、はぐらかされたり、選択権は女性にあった。恋仲になってからは、男性は飽きたら通っていかなければよいが、女性の側でも男性を拒否できた。居留守を使ったり、余所に隠れて姿をくらましたりすることがあった。
中納言定頼が小式部内侍のもとを訪れると、誰かが床を共にしている気配がする。西洋なら決闘ものである。今夜は帰ろう、でも自分が来たことはそれとなく伝えたい、定頼はアカペラを唱いながら悠然と去って行く。女は、はっとして、抱かれていた右大臣頼宗の腕をふりほどき、くるりと背を向けてむせび泣いたという。定頼は美声の持ち主であった。あの時ほど恥ずかしいと感じた夜はない、後に頼宗はそう語ったと伝えられている。
往事は一夫多妻制と思われがちだが、必ずしもそうではなく、男性も女性も、複数の相手との恋愛は許されていた。一夫多妻は、水準以上の貴公子か権力者でないかぎり、男性の多くが選別されてあぶれてしまう、むしろ男性側に厳しい制度である。
摂政関白をつとめた藤原兼家には、複数の女性がいた。右大将道綱母も、その一人である。蜻蛉日記で、兼家は「あさましき人」「天下に憎き人」「今日まで音なき人」「恨みきこえたまふべき人」など、散々な言われようである。産後間もない道綱母を見舞いに来ては、別の女あての恋文を置き忘れて帰ったり、「宮中で急用が」と出て行くものの、跡をつけられた行き先が女の家だったり、浮気がばれて閉め出され、家に入れてもらえなかったり、兼家の行動は最低で情けない。道綱母と交わしたプライベートな恋の歌も、四十一首がそのままに明かされてしまっている。今で言うメールやLINEの流出である。
兼家は権謀術数に長じ、最高権力者へと昇りつめていた。どこの国でもいつの時代でも、権力の頂点にいる為政者を向こうに回し、私生活の恥部を暴露することは、少なからぬ危険が伴う。ところが、王朝の女性は表現の自由が保障されていたらしい。大鏡に「この殿のかよはせたまひけるほどのこと、歌などかき集めて、かげろふの日記と名づけて、世に広めたまへり」とある。道綱母が自らの意思で世間に公表し、拡散させていたのだった。
なお、意外に知られていないことだが、王朝特有の複雑な敬語は、和歌では用いない。どんなに身分の差があろうと、男女間でやりとりされる恋の歌は、いわゆる「ため口」、男女は同格であった。
SDGsやLGBTQの横文字を目にする機会が増えた。天皇や上皇の命で編まれる公的な勅撰和歌集は、四季部から始まる。人と自然との共存が季節の移ろいと共に、持続可能な循環型の暮らしに沿った配列で、歌は並べられている。恋部には同性愛の恋歌も収められていた。
時代がようやく古典に追いついたのだ。
小林一彦(こばやし かずひこ)
京都産業大学教授
1960年、栃木県生まれ。慶應義塾大学大学院修了。専門は日本古典文学(特に和歌文学、中世文学)。和歌文学会常任委員、中世文学会委員、全国大学国語国文学会委員、日本文学風土学会常任理事、和食文化学会理事などを歴任。新聞や雑誌のコラム執筆、テレビやラジオの出演を通じて古典の魅力をわかりやすく発信している。著書に100 分de 名著ブックス『鴨長明 方丈記』(NHK 出版)、日本歌人選『鴨長明と寂蓮』(笠間書院)、『恋歌』(さくら舎)など。『冷泉家時雨亭叢書』全100巻(朝日新聞社)の刊行にも携わる。
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