JAPONisme Vol.22 – 2019年秋
2019年10月1日発行 第22号
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- おむすびへのノスタルジー 中西進(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 稲の花が咲いたよ 鞍田崇
- 素直に、すこやかに、丁寧に 石津大輔×宮澤政人
- ちょこっとコラム
- 米の経済学 久住祐一郎
- お知らせ
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈十四〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 六条山のたから筥⑩
今号の試し読み:稲の花が咲いたよ 鞍田崇
「稲の花が咲いたよ。朝はとくにいい香りがする。」
夏になるたび、東北の山村に住む友人からそんな知らせをもらう。
知らせを受けるようになったのは、夏ごとに、友人の住む村を訪ねるようになったのがきっかけ。以前は、稲の花なんて意識したこともなかったのに、それがいまでは、開花の知らせとともにふしぎと気持ちが高まる。
開花を告げるメールを読みながら、いつもただちに目に浮かぶのは、友人が暮らす村の光景だ。
朝まだき、夏の山村である。濃い靄が立ちこめ、村はすっぽり白いヴェールに包まれている。日はまだ低い。やはり靄に煙る東の尾根筋が、ようやくぼおっと仄明るく輝きはじめようかという時間。この時間のこの光景がたまらなく好きで、夏に村を訪ねるとかならず、僕は朝靄のなかを散歩する。とりわけ靄が濃いのは、水田が広がるエリア。靄の中へと誘われるように、農道の奥に歩を進めることもしばしばある。そうして気がつくのだ。周囲に広がる田んぼから、かすかにただよう稲の花の香りに。稲の花の知らせがもたらす気持ちの高まりの理由は、村で過ごしたそんな体験がありありと再現されるからだろう。わざわざ早起きして、わざわざ脇道に逸れたからこそ気がつくことができた。そんな満足感もあるかもしれない。でも、それ以上に、村にただよう独特な雰囲気を思い出せたという実感、その喜びの方が大きい気がする。独特なというのは、たとえば稲の花の香りに気がつける、そんな雰囲気ということでもあって。
村の名は、昭和村という。福島県会津地方の山間部、奥会津と呼ばれる地域のなかでもいちばん奥にある村である。
村へのアクセスはどこかドラマチックですらある。文字通り奥なので、いちばん最寄りとなる鉄道の駅からも、車でいくつもの山を越えて行かねばならない。うねうねと曲がる細い峠道を過ぎ、鬱蒼と茂るブナ林のあいだを抜けてしばらくすると、突然樹々がまばらになり、視界が開ける。風景の見通しのよさとは裏腹に、むしろ周囲には静けさが漂う。もともとあった静けさに気がつくという方が適切かもしれない。
昭和村を訪ねるようになったのは、近世より現在にいたるまで衣料素材として同村で営々と手がけられてきた「からむし(苧麻)」に興味を持ったのが始まりだった。正確にいえば、からむしの栽培プロセスのなかで、火入れが行われているということにそそられて。
はじめて訪ねたのは、いまから十年余り前。火入れはからむしの芽吹きをそろえるとともに、畑の病害虫を駆除するために行われる大事な作業である。火入れにかぎらず、刈り取り、繊維のはぎ取り(「からむし引き」という)、糸づくり、機織りまで、すべてが昔ながらの手作業なのだけれども、それらの作業を担う人々のなかに、村外出身の若い女性たちがいることで、さらに村への関心がつよまった。しかも、村で「織姫」と呼ばれる彼女らの多くは、もともとまるで染織に興味がなかったという。そんな彼女たちが、村の方々が培ってきた仕事を受け継いでいこうとするその姿勢に深い共感を懐いた。そうしていつしか繰り返しくりかえし訪ねるようになっていた。とりわけ、からむし引きが行われる盛夏には欠かさず。
夏、村に着くと、まず友人のもとにうかがう。稲の花の知らせを送ってくれる友人だ。彼女もまた織姫として村にやってきたひとり。「こんにちはー」。開けっ放しの玄関先から声をかける。すると、きまってこう返してくれる。「おかえりー」。からむし引きの作業の手を休めながら。いつも同じことの繰り返しなのだけど、それがたまらなくうれしい。
からむしに関わる作業はすべて季節の歩みに身を添わすようにいとなまれる。たとえば、火入れは五月末、小満の時期に行うとされているが、藤の花が咲くころともいわれる。カレンダー上の時間に即すのではなく、周囲の自然の様子をたえず気にかける。からむしの作業だけじゃない。昭和村の生活がそもそもそうだ。だからこその稲の花とその香りの知らせでもあるのだろう。でも、この知らせにはもうひとつ隠れた意味があるんじゃないかとも思う。
昭和村がからむしを手がけてきたのは、稲作の作業のサイクルとぶつからないからでもあったという。いちばん忙しいからむし引きの時期に、田んぼで稲がスクスク育っている、その確認のシグナルが稲の花ではなかったか。たんなる確認じゃない。スクスク稲を育ててくれている自然のいとなみへの感謝の念もあったろう。
「稲の花が咲いたよ。朝はとくにいい香りがする。」
この知らせは、忘れかけていた何かを僕に気がつかせてくれるものでもあるのだ。
鞍田崇(くらたたかし)
哲学者。1970年兵庫県生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。現在、明治大学理工学部准教授。近年は、ローカルスタンダードとインティマシーという視点から、現代社会の思想状況を問う。著作に『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(明治大学出版会 2015)など。民藝「案内人」としてNHK-Eテレ「趣味どきっ!私の好きな民藝」に出演(2018年放送)。
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