JAPONismeVol.30 – 2022年春「奇跡の学び舎~京の「番組小学校」ストーリー」
2022年4月1日発行 第30号
- こころの道標(みちしるべ)大谷暢順
(ジャポニスム振興会会長) - 【巻頭言】遠望のススメ 上村淳之
- 番組小学校とは何か-京都の近代化の拠点・象徴- 林潤平
- 番組小学校 いま、むかし
- 隈研吾さんに聞く つなぐ建築
元・新道小学校跡地開発にみる「用途混在」と「多様性」 - お知らせ ジャポニスム倶楽部
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈二十二〉山折哲雄
(ジャポニスム振興会特別顧問) - 六条山のたから筥⑱
今号の試し読み:隈研吾さんに聞く つなぐ建築
元・新道小学校跡地開発にみる「用途混在」と「多様性」
その歴史ある土地の記憶や機能を残しつつ
町ぐるみで、新しく多様性のある文化ゾーンの再生へ。
京の五花街のひとつ「宮川町」と小学校の跡地を舞台に
世界のモデルともなり得る開発プロジェクトの建築デザインを担った
建築家の隈研吾さんに、数年後にお目見えする新名所の魅力や
そこへ寄せる思いを伺いました。
僕をのめり
込ませるもの
──今回の再開発では「元・小学校」というパブリックな役割も持つスペースと、「京の花街」という、これまた特徴ある場所とを〝一帯〟として建築監修なさったわけですが、お引き受けになるに至ったお気持ちなど、お聞かせ願えますか?
隈研吾(以下、隈) あの辺り、とても素敵な場所ですよね。京都らしさっていうのは、ひとつには「路地」にあると思いますけれど、路地の魅力がとくに際立っている場所だと思います。小学校の跡地はホテルになりますが、それだけじゃなくて、宮川町という花街のコアである「歌舞練場」も再生する、それから元・小学校にあった地域施設も再生する。その三つが連動するというのが、普通の商業開発ではなかなか出来ないことなので。そういうことがこの場所で起こる、というところに引力というか……、僕自身を非常に、このプロジェクトにのめり込ませるものがありましたね。
──それぞれに地域の人たちの思い入れも深く、趣きも、用途や役割も違う場を繋げての開発には、さぞご苦労も……。
隈 近代都市っていうのは用途で分かれちゃうわけですよ。なるべくセパレートする。ホテルのそばには学校があっちゃいけないとかね。普通のホテルでさえいかがわしいものだみたいな感じになって(笑)、子どもたちの生活圏から分けようとする。それが近代都市計画なんです。しかし、そういう「切断」っていうものがね、子どもたちにとって本当に良かったのかなって思うんですよね。色んなものが都市にある、それも学習だと思うわけですよ。
今回、再開発する元・小学校も、廃校になっているとはいえ、近隣には子どもさんたちも住んでいるだろうし、地域活動の場としての役割も果たしている。そういうところが、花街文化が花開く場所である「歌舞練場」を中心に生まれ変わるっていうことは、子どもたちにとっても、僕、すごい教育だなって思うし。昔の日本の都市が持っていた「用途混在」みたいなもの、「多様性」みたいなものというのが──、僕はこれからの世界、近代都市に一番必要なものは、それだと思うんですね。色んな人がいる、色んな世界があり、考え方がある。それを子どもの時から教える、そんな意味合いもある場所になればと思いますね。
花街っていうのも、ただ遊興の場というのではなく、京都の中でも非常に重要な場所だと思うんです。それぞれの花街が、みんなキャラクターがあって。だんだん僕もそのキャラクターが少しは分かるようになってきて(笑)。そういう、なんか花街のキャラクターが地域と結びついていって、都心の中のひとつのエンジンだったと思うんですよ。どの都市にも、東京にも花街はあるけど、やっぱり京都のそれの重みっていうのはちょっと違うレベルの、いわゆるアーバンデザインの核だったと思います。都市を創造して、再生産していくエンジンそのものだったと思う。
今回、そういうものが新しい開発の核になって、歌舞練場を中心に町が再生していくということはですね、京都っていう土地の本質を世界の人に伝える時に、すごく良いストーリーがここで生まれたんじゃないかなって思ってるんですよ。観光に来た人にとっては、京都といえばお寺、みたいな印象にもなりがちだけど、花街っていうのは、そのもっと奥の層で都市を支えていて、都市と文化をつくるものだ、と。
──開発途上で、いわゆる京都の町の開発のやりにくさ、といったようなものは?
隈 それはやっぱりね、先ずは皆さんと信頼関係を確立していって。それがベース、そこからです。地域の皆さん、花街や歌舞練場を支えている皆さん、それぞれに面通しして。「面接」されたような感じですね(笑)。ただ、歴史ある歌舞練場というものがこの町の中心であってほしい、あの建物の雰囲気を保ち続けてほしい、というのはどなたも仰いましたし、僕自身もあの建物が大好きで、すごく素敵だと思ったし、独特の竹のすのことか、大屋根とか、めちゃくちゃ格好いいので。それを活かした再生が出来なかったら、いくらホテルが繁盛しても意味がないな、と。それと、最初にもお話ししたように、この界隈は路地の魅力が際立つ場所だと思いますから、そこを大切にした再開発でありたい。そういうことをしっかり説明し理解いただけたと思います。
じつは今回のプロジェクトでは、僕らは建築物から設計していない。「通り」をどうするか、ってところから始まってるんですね。通りの両脇に何があるか、通りを歩いている人に何が見えるか、というところから、建築のデザインをフィードバックする、デザインの順序を逆転したやり方です。建築が出来たあとに、その隙間として通りがある、というんじゃないんです。
──たしかに、あの辺りは細い通りがいくつもあって、そこを歩くだけでもワクワクする感じがありますね。
隈 そのワクワクする通りの感じ、っていうのが、大きな開発の中では傷ついちゃうケースが多いんです。インティメートな、ヒューマンな雰囲気が失われてしまう。それを通りからデザインすることによって、大きい開発だけど通りを傷つけない、むしろ通りが前よりもしっとりしたな、と思ってもらえるようなものが出来ればいいなと。
──具体的な工夫を少し教えていただけますか?
隈 通りと建築との間のスクリーンみたいなもの。微妙なスクリーン、それが日本の、とくに京都の町の特徴だと思うんです。ヨーロッパだと厚い石壁だから、だいたいゼロかイチかの世界で、閉じてるか、完全に開いてるか、ということなんですが、日本だと0・0036……とか、小数点以下何桁、みたいな開き方をしているわけですよね。そういう感じのスクリーンを、丁寧にひとつひとつデザインしていく、ってことをやるわけです。竹の簾そのものも、僕、大好きだけれど、やっぱり耐久性の問題もあって、そうなると大きな開発の時には、「じゃあ簾やめちゃおう」ということになっちゃう。でもそこで諦めずに、僕は長持ちする簾をデザインし直そうと金属を使って作ったんですけど。そういうところも是非、見てほしいなと思います
サハラの家
ニューヨークの畳
──劇場に関しても、隈さんは歌舞伎座のような大きなところから地方の能舞台まで、さまざまな建築、再生に携わっておられますが、今回の宮川町の歌舞練場の印象はいかがでしたか? かなりコンパクトな劇場ですが。
隈 そのコンパクトさがすごく素敵だなと思って。距離が近い。舞台とこんなに距離が近いんだなあと。それからある種の「闇」みたいな感じ。劇場の持つ闇、というのかな。昔の照明って、そもそも電気のない時代なんかもっと暗かったわけだから、そういう暗い中に、金とか、赤っていう華やかな色がふわあっと浮かびあがるみたいな世界。そういうものを、いくらでも技術的には明るく出来る現代の中で、どうやって暗さを保つかみたいなことを一所懸命考えましたね。
──やはりそこには、日本文化への深い思いというか、造詣というか……。
隈 建築っていうのはカタチを追っかけてもしょうがないわけで。やっぱり自分自身がそこで一緒に遊びたい、という気持ちがないと面白い建築にはならないと思いますね。
とは言ってますが、僕自身も若い頃は、日本の文化とか、伝統建築なんてのは辛気くさくてつまんないって見えてたんですよね。だいたい若い頃ってそうじゃないですか。でも大学の頃に、研究室からサハラ砂漠の集落へ調査旅行に行き、そこでなんか近代建築に代わるもののヒントみたいなものを手に入れて。それで「日本の伝統建築の中にもサハラ砂漠があるな」と思ったのは、その後ですね。ちょうどニューヨークに行ってる頃、1985年から翌年にかけてニューヨークに行ってたんだけど、その時に向こうの連中から日本建築について色んなこと質問されて、自分が今まで日本建築のことを何も知らなかったことに気付いて。それで畳を買って(笑)。ニューヨークのアパートに畳をね。畳って当時のアメリカじゃ全然売ってなくて、カリフォルニア在住の日本の人から、ものすごく高い畳を、なんとか2枚だけ買ったんだけど。その2枚をアパートの一角に敷いて、そこで真似事みたいにお茶を点てて友達に出したりなんかしてるうちに、「ああ、この世界って、僕が求めてた世界なんだな」って、ニューヨークの畳の上で気付くんですよね。
──あの……「日本の伝統建築の中にもサハラ砂漠がある」というところ、もう少しご説明いただけますか?
隈 あははは、それはね、サハラ砂漠の建築って「土から生えてる木」みたいな建築なんですよ。そこにある土を、家畜の糞で固めて、藁を混ぜて、それ積んで、その辺の枝を乗せて屋根かけて。日本の建築の、茅葺きの土壁の建築の原型みたいな感じがして。
──つまり、サハラ砂漠で発見なさった建築の方向性のヒントを、ニューヨークの即席二畳台目の上で確信に変えられた、と。日本にいる間は外に目が向いていたけれど、外国から日本を見返したとき、その良さ、特質に気付く、という……。すみません、この上なく乱暴な端折り方で。
隈 いえ、そんな感じですよ。日本ていうのは、本当に心を癒してくれる、僕らの心を慰めてくれるものが日本の中にあると思いましたね。都市のコンクリートのハコの中で──、密の空間の中で働かされている人間を、なんか慰めてくれる力が日本にはあるから。そういう文化の土壌を学んだり、親しむことは、自分っていうものを救うことになる。それは本当にね、自分という、なんか弱い存在を、「日本」ていうものは結構あったかく受け止めてくれる、というような。そんなことを思いましたね。
嫌がっていた
ルールの先に……
──今、私たちはコロナ禍の中で、不自由を余儀なくされたりもしていますが、外に向いていた目を内へと向けて、そうしたことを見直すには、良い時期とも言えるのでしょうか?
隈 ものすごく良い時期だと思いますね。コロナって、基本的には大都市が住むところではないってことを僕らに教えてくれた気がしますね。コンクリートの大都市っていうところが住む場所ではなくて、すごいストレスを、体にも、環境にも、与えてたんだなっていうふうに思います。
今の若い人たち、まあ、僕らが若い頃もそうだったけど、日本文化というと、たとえばお茶の世界にせよ何にせよ、いろんなルールがあって面倒くさいって感情を持ってる人が多いと思うんだけど、じつは日本っていうのは、そういうストレスの世界から僕らを解放する、なんか「ゆったりしたもの」があるんですね。それは人々が森で生きていた頃から、そういう要素が仕組まれてあったわけだけど──。そしてその中で、僕らはリラックスして生きる知恵を学んで、そういうのが日本の本質であって。いわばルールは、それを紐解く、本質に辿り着くための手順とも言える。だから、ルールの細かさを面倒とは思わないで、その先にある、日本の緩さというか、ゆったりとしたものと直接触れ合ってほしいな、と思いますね。ある時になると、嫌がってたそのルールが、突然、「ああ、このルールがあるから自由なんだ」と感じられる瞬間が来るから、そこまでちょっと我慢しなさい、って(笑)。
──今回の開発の一環にあるホテルも、やはり、そういう日本の魅力に満ちたもの。
隈 そうですね、通りと同じく、やはりスクリーン、新しくデザインした簾がたくさん使ってあるんですが。中庭の空間にね、簾があって、水があって。決してきらびやかじゃないけれど、人間がゆったりした気分になれる。そういう場所だと思います。和のホテルというと、海外のインテリア事務所なんかが手がけると、キンキラしたものになりがちですが、そうじゃないものに(笑)。あと、ある種のオドロキをね。まさか、と思うところに自然を感じるって瞬間、京都に沢山あるじゃないですか。これだけの中心的都市の中に、どうやって自然を取り込むかということについて、たゆまず知恵を絞ってきた都市だと思うんですね。そういう何か京都の不思議さみたいなもの、それは坪庭もそうだし、鴨川との関わり方とかもそうだけど、そういうものをここで、京都の知恵をもう一度、訪れる人たちに感じてほしい。そういう空間になっていると思います。
──小学校であった土地に建つ、ということで、何かほかのホテルとは違う工夫もあるのでしょうか?
隈 ああ、それはね、地域の人たちがそこで色んな活動をする場所を必ずつくりなさいっていう、それを跡地開発の条件として徹底しているわけです、京都市はね。行政の指導で公園をつくりなさいとかいうのはよくあるけど、地域の人の活動の場を残しなさい、というのは、これは小学校が地域の中心だったことの証明で、だからこそ地域活動の場が残るわけで。とても素敵なことだと思う。これはもっと世界に、京都の人たちは自慢していいんじゃないかな。世界の新しいモデルになるんじゃないかと思いますね。
ホテルと地域施設って、ある意味では対照的な性格をもっているわけですよ。何しろ、よそから来た人が高いお金を払って満足してくれるためには、そこは非日常なゴージャスな空間でなきゃいけない。かたや地域施設は地元の人が日常使いするわけだから。でも僕は、日本の都市の良さっていうのは、そういうものがうまく溶けてて、あまり違和感なく並んでいたところにあると思うんですよ。日本のゴージャスってそういうもんなんです。ある意味で、金銭的な、値段の差みたいなもの、ゴージャスさと日常使いの差が、日本の都市って、世界でも稀に見るくらい無いんですよ。ゆたかさの質が違うんだよね。天皇さんがお住まいになる御所ですら、日常の延長にある。それが逆に日本のすごさなんだ、って。今回の再開発では、そういうゆたかさの在り方をね、地域施設と隣り合うホテル、っていうところででも実現できたらいいなと思ってるんですよ。
──ありがとうございます。どんな共存、町並みが生み出されるのか、本当に楽しみです。ごめんなさい、あれこれと支離滅裂にお訊ねして。
隈 いえいえ、面白かったですよ(笑)。是非、通りを歩いて、遊んで、町全体を楽しんでください。
隈 研吾(くま けんご)
建築家
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