JAPONismeVol.36-2024年冬「江戸の科学者たち~江戸の空から眺めた宇宙」
2024年12月1日発行 第36号
- 「本願寺法主 大谷暢順の超・仏教書」大谷暢順
- 見上げてごらん 空が教えてくれるもの 西村昌能
- 江戸時代の天文学 嘉数次人
- 江戸の科学者が宇宙へ行ったら!? 向井千秋
- 天晴れ、江戸の学問事情 朝井まかて
- お知らせ ジャポニスム倶楽部
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈二十八〉山折哲雄
- 六条山のたから筥㉓
今号の試し読み:天晴れ、江戸の学問事情 朝井まかて談
江戸時代をひと言であらわすなら「好奇心の時代」、と思います。貴賤上下の別なく、みんなとっても好奇心が強い。それが何のためになるのか、といった功利が先立つのでなく、純粋にいろんなことを知りたい、知ることが面白い。江戸時代には、今回のテーマとなっている天文学者たちをはじめ、和算、本草学、文芸……、数多の科学者や文人、その中から平賀源内のような鬼才も生み出されるわけですが、それらはすべて、江戸という時代の中に充満していた、有り余るほどの好奇心の産物ではないかと。私はそう思っています。
ではなぜ、往時の人々の身中にそこまでの好奇心が芽生えたか。いくつかの理由があると思いますが、一つには、市井にたくさんあった「手習塾」が、その萌芽の土壌と言えるでしょう。経済の発達によって、町の子たちは奉公に出る。そのためには「読み書きそろばん」ができないと、帳面も付けられないし、お釣りも渡せない。そうした事情も、あるにはありますが、決してその目的のためだけではないんですね。
庶民の学びが立身出世のため、日本国のため、となったのは明治以降です。江戸時代の寺子屋、手習塾での学びは、もっと融通性があるものでした。男女は一応分けられていましたが、年齢も、環境もごっちゃ。教本も、その子の得意なことや学びの進み具合に沿って先生が個別に用意するんです。また、今で言うところの遠足、「遊山(ゆさん)」をしたり、お習字のコンテストなどをしたり。あそこは良い塾だ、と評判を取るための切磋琢磨もあり、結果、レベルアップも図られた。そこにあったのは近代ヨーロッパの調教的な教育とは異なる、おおらかな学びのスタイルです。
ゆたかな地域性と
シャッフルの仕組み
学習環境は江戸、大坂、あるいは京といった大都会だけでなく、地方には地方の藩校がありました。江戸時代は、身分制度をはじめ、非常に統制の厳しい時代と思われがちですが、基本的に諸藩の政治は地域に任せる、緩やかな自治制が敷かれていたので、国(藩)ごとの地域性が色濃く、諸国にいろんな学びがあったのです。長崎のように外来文化が入りやすいところでは、蘭学に詳しい人が出てくる。あるいは国ぐるみで園芸技術を磨く等々。そうした地域性のある学びや知識が、参勤交代という仕組みで流動し、そこにシャッフルが起こる。そういう混淆は、あらゆるところで生じていました。
たとえば天明の頃、大ブームとなった狂歌。これはもともと、武士階級の漢文漢詩の素養ある人たちの交流が発端でしたが、次第にそこからちょっと枠をはみ出た、センスのとんがった人たちが身分を超えて集まり始める。平賀源内、蔦屋重三郎、山東京伝、その一つ下の世代に八犬伝の曲亭馬琴……。「連」と呼ばれるサロンが方々に形成され、そこから狂歌に留まらず、あらゆる文化、文芸が生まれます。その世界の中では、武家出身者たちも皆、ペンネームを使い、どこの藩の人間か、幕臣かということは隠されている。そしてその匿名性ゆえに、非常に面白い流行を生み出していく。ここにもまた、身分のシャッフルが起きているわけです。
現代において「多様性」が盛んに謳われて久しいですが、文化も混沌こそが母なる土壌です。江戸時代の爛熟文化は幕府の政治の潮流により弾圧も受けますが、弾圧の対象となる、ちょっといけないことをしている、みたいな不安定な状態から生まれる文化はとても新しいし、鋭利さがありますね。
泰平と無常
二つのスタンダードの中で
もう一つ、江戸の人たちのあくなき好奇心の背景となったのは、やはり「パクス・トクガワーナ(徳川の平和)」と世界的にも評価を受ける、徳川の泰平の世であったと思います。ただし、彼らは「泰平」の暢気さだけでなく「無常」も知っていました。当時の医療事情の中では、子どもは本当にあっけなく亡くなり、火事も頻繁に起こった。誰しもが明日どうなるかわからない。そういう中での仏教的な無常観は持ち合わせつつ、土台として、こんなに長い泰平が続いているから「種を蒔こう」と思えるんですね。命の儚さは切ないほどにわきまえていて、けれど季節の巡りは信じられる──。泰平と無常、スタンダードが二つあって、そこで彼らは、いつ焼け出されるかも知れない日々の中にも、身の回りを季節の花で飾る心を持ち、子どもを手習塾へ通わせようとも思えたんですね。これは明日も知れぬ戦時下では持てない感覚です。平和の維持がいかほど大切か。
そしてもう一つ。江戸時代は貧富の差が激しくて、その日暮らしの人もたくさんいましたが、稼げない人たちを低く見ていたかというと、そうでもないんです。けれど、趣味の世界でダサいと、そこはハッキリ見下げられる(笑)。だから、稼ぐことに汲々とせずとも、自分が好きなこと、趣味の世界では、一目置かれるために夢中になった。好きなこと、好奇心の赴くところのことですから、寝食忘れて一所懸命になるんですね。そこから感覚の突出した人々が、科学者であったり、文芸者であったり。だから「芸」なんですよ、科学にしても。もちろんそこには探求の苦しみもあるわけですが、いかなる業績も、彼らにとっては楽しみの先に得た成果であったろうと、私には思えるんです。
そう思うと、あらためて江戸の人々の精神的な懐の深さ、おおらかさ、ゆたかさに敬愛の念を抱きますね。文化、技芸が成熟し、科学テクノロジーの扉も次々と開かれていった。かように日本は芸文化が面白い国であった──。
今の私たちは、次の世代にどんな国を渡すことができるのでしょうか。大人が楽しく面白く学ぶ姿があればこそ。そう、好奇心で生き生きと目を輝かせる人々が身の回りにいてこそ、子どもたちは未来を信じられるのではないかと思います。
朝井 まかて(あさい まかて)作家
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