宇崎竜童 ジャポニスム・マイスターVol.4
2014年12月23、30日放送/レポート
今回の「ジャポニスム・マイスター」のゲストは俳優の津川雅彦さん。
宇崎さんとは、普段から親しくおつきあいされているだけに、番組の最初から息のあったトークが展開されました。映画一家にお生まれになった津川さんは、小さい頃はどんな教えを受けていたのか、という質問に、「例えば『宵越しの銭は持つな!』と言われていました。つまり『金にとらわれるな、身につけろ』ということ。遊びは文化のもとであり、役者には遊びが必要だと教えられていました」と津川さん。
また、「信長」「秀吉」「家康」という3人の天下人を演じた津川さんに、役を演ずるときの心構えは、という問いに、「役者は魂を演ずるもの。だから美意識の根本や文化の根本を探りたくなる。幸いなことに、その人物を演じる時には、いろいろな知識者が集まってきて、歴史上の人物のことを詳しく教えてもらえるのがいい」と津川さん。そこから津川さんの日本文化に対する深い造詣が生まれてきたのだと宇崎さんが納得したところで、話は日本文化へ。
「日本には1万6000年前から縄文文化があった」と津川さん。火焔土器などは、世界の他の地域で発見されるものは動物を描いたりする具象的なものであるのに対して、縄文人はこの時代から抽象的な表現をしていた。それは、自然を崇拝する民族性からきている。自然の中に宿る神を信じていたからこそ、草木や虫にも、全ての命を大切にする心が生まれ、それが日本人の美意識の根底にあって、日本の文化が生まれたという。
宇崎さんも、ロックという欧米の文化をやりつつも、一方で、美空ひばりさんの歌を聴いて涙する自分に気づき、ジャパニーズロックをやるべきだと気づいた、と共感。話は日本文化で盛り上がっていきました。
さらに、「時代劇」を通して「歌舞伎」「吉原」「浮世絵」という江戸の文化を正しく伝えたい、と津川さん。浮世絵などは、モネやロートレックやドガといったヨーロッパのハイインテリジェンスに大きな影響を与え、印象派はそこから生まれた。浮世絵の大胆な構図や庶民的なテーマ、自然を美しと思わせる美意識など、それが世界を驚愕させた。そういう角度で切ると、日本の映画に夢がふくらむという。
「みんなが、日本人の素晴らしさ、日本人であることの素晴らしさに気づいてほしい」というお二人は、まさに「ジャポニスム・マイスター」だと感じた放送でした。
- 津川雅彦 Profile
父は往年の日活スター・沢村国太郎、母は女優のマキノ智子(恵美子)、2男2女の次男。
1956年、早稲田大学付属高等学院に入学。入学後まもなく日活から『狂った果実』(1956)の主演話が持ち込まれた。迷ったが、両親のすすめもあって出演。
以来、『夏の嵐』(1956)、『孤独の人』、『十七才の抵抗』、『今日のいのち』(1957)の青春映画に続いて出演した後、1958年日活を退社、松竹に移る。松竹では木下恵介の『惜春鳥』(1959)を手始めに『素晴らしき十九才』、『ここに男あり』(1959)、大島渚の『太陽の墓場』、『日本の夜と霧』(1960)、吉田喜重の監督デビュー作『ろくでなし』(1960)や『甘い夜の果て』(1961)、田村孟の第1回監督作『悪人志願』(1960)、『あの波の果てまで』(1961)などに出演。
1963年ごろから東映『次郎長三国志』(マキノ雅弘)や大映『江戸無情』(1963)、『舞妓と暗殺者』(1963)など他社出演が増え、翌1964年には松竹を離れてフリーとなり、芸術座を手はじめに舞台、テレビ、映画と活躍。
1973年5月、朝丘雪路と結婚。
1974年3月、真由子誕生。その後、『マルサの女』、『スーパーの女』などの伊丹十三監督の作品に数多く出演。1998年の東映『プライド』で東條英機役を演じて日本アカデミー賞優秀主演男優賞。1985年NHK連続テレビ小説『澪つくし』、2000年にはNHKの大河ドラマ『葵~徳川三代~』の徳川家康役で主演。TBSの人気シリーズ『サラリーマン金太郎』で建設会社会長の大和龍之介役を演じるなど、その存在感あるキャラクターは定評があり、また、現在公開中の映画『0.5ミリ』では、報知映画賞助演男優賞を受賞。役者としてますます脂の乗った円熟の境地のさなかにあると言える。