JAPONisme Vol.12 – 2017年冬
2017年1月1日発行 第12号
CONTENTS
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 日本の心のやま
- 富士礼讃 仰ぐ・描く・愛でる
- みやこびとの不盡 尽きぬ興趣と尽くさぬ美学 冷泉為人
- 愛しき富士―その魅力と引力― 竹谷靭負
- 知ると楽しい! ふじさんちょこっとコラム
- 富士山を見る・知る・まなぶ ミュージアムガイド
- <公演報告>「俳人句佛~飄逸の本願寺上人」
能の来た道、日本のゆく道 巻三
うたうがごとく語るがごとく「節談説教」 - ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈四〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
今号の試し読み:都びとの不盡 尽きぬ興趣と尽くさぬ美学 冷泉為人
写実にまさる、みやこぶり
我々が富士山について知っていることと言えば、おそらく皆さんもご存知の、百人一首の第四首に採られている、新古今集の山部赤人の歌、
田子の浦に うち出でてみれば 白妙の
富士の高嶺に 雪はふりつつ
ということになりますが、これは周知の如く、万葉集の巻三にある赤人の歌とは、似て非なる仕上がりになっています。万葉は
田子の浦ゆ うち出てみれば 真白にぞ
不尽の高嶺に 雪は降りける
これが本来であって、写実味が濃いというか、「富士の高嶺に真白に雪が降っております」と、よくわかるわけです。骨太でね。
片や百人一首のほうは、「白妙の―」と、白い絹というもので雪を表現したり、結句も断言は避けて「降りつつ」と、言葉を洗練させて、朗詠するに美しい流れにしてある。そこの違いを「みやこぶり」というのでしょうか。
私は、たまたま縁があって冷泉の家に入ったものですから、いろんな百人一首やら、それにまつわる書物もひと通りは読まねばならんと(笑)、種々、拝見してますと、田辺聖子さんが書かれた『田辺聖子の小倉百人一首』(角川文庫) には、そのあたりの機微が面白う、上手にこなれて解説されていますね。あの方の女学校時代は軍国主義の真っただ中で、その頃には繊細、軽妙な古今、新古今調というのは軽視されたのでしょう。そんな甘っちょろいことではイカン、ということですな。しかし、時代が変わり近年になって、古今、新古今の「自然と人間との融和のたたずまいの美が、人々に好もしがられはじめた」と田辺女史は記しておられます。
万葉と古今、そのいずれが良いか、どちらを好むかは人それぞれ。また折々の風潮や解釈の違いもあるでしょう。が、さて京都の人たちはどうか、と言えばやはり、声に出して詠んだときの響きの良さや、ものごとを言い切らず余韻を残す、といった古今、新古今のほうに馴染みがよいのではないか、と私は思います。京都というのは昔から「間接話法」の土地柄。あからさま表現は好まない、ということなんですね。
古事を踏まえる、という楽しみ
私が専門にしております絵画の分野においても、同じようなことが言えるかと思います。富士を描くにつけ、それを観るにつけ、遠く離れた都の人々が、実際に富士の姿を目の当たりにすることは、まずなかったでしょう。
けれど都びとたちは、業平とおぼしき公達が、五月のつごもりにも雪をいただく富士山を見て「鹿の子まだらに雪の降るらむ」と歌を詠む「伊勢物語東下りの段」はちゃんと知っていましたし、先述の山部赤人の歌の、万葉と新古今の風合いの違いを心得てもいた。さらには狩野派が描くところの「富士参詣曼荼羅」や、もっと遡って「一遍上人絵伝」、黒駒伝説で知られる「聖徳太子絵伝」なども見聞きし、「こんなかたちで、こういう風に雪を被っているのが富士山」という共通認識や、物語の成り立ちはしっかりと踏まえていた。そして、そのうえで、幾層にも広がる富士画の世界を楽しんだんですね。
たとえば尾形光琳なども「業平東下り図」を実に美しく描いていますが、ご覧になってわかるように決してリアルではない。それでいて、富士山を初めて目にして、はるか見上げる都びとの様子を見事に写し、伊勢物語の富士を代弁してくれています。
私を筆頭に、ものを知らん者のクセとして、何から何まで言おう、ことごとしく表現しようとするわけですが(笑)、古事(いにしえごと)を踏まえて……という術を知る教養ある人々は、敢えて多くを言い尽くそうとはしないのだろうと思います。それでいて、ひとつの絵を見た時に、その奥からふうっと立ちのぼってくる背景、いわば「本歌」の世界をのびやかに思い描いて味わう―。その余白を残すためにも、尽くさぬ(不尽、不盡)、ということが喜ばれるのでしょう。
こういう楽しみの在り方は、肉眼でつねに近しく富士山を見ていたお江戸の人々の感覚とは、ずいぶん違うかもしれませんね。
はるか遠い分、都では、見えぬ部分を推しはかる……という術が磨かれたのではないでしょうか。あれもよろし、これもよろしなあ、と楽しみの道をひらきつつ、目に映るままだけでなく、雅趣を以て心に山容を描く。それが都びとにとって、もっとも優しく美しく、あらまほしい富士の姿であるのかもしれません。
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