JAPONisme Vol.14 – 2017年夏
2017年7月1日発行 第14号
CONTENTS
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 巻頭ミニ講座 俳句と音~十七文字にひびく音景色 蕪村、芭蕉、そしてクローデル 芳賀徹(ジャポニスム振興会特別顧問)
- JAPONisme特別対談 日本の「音」を語る 東儀秀樹×大谷祥子
- 音・つれづれ 知ると楽しい! ちょこっとコラム
- 江戸の売り声 声に息づく粋、遊び心、バイタリティー 宮田章司
- 公演報告
- 六条山のたから筥
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈六〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- ジャポニスム振興会 お知らせ
今号の試し読み:
JAPONisme特別対談 日本の「音」を語る 東儀秀樹×大谷祥子
奈良時代より続く「楽家」の末裔として、雅楽の正統を受け継ぐいっぽう、他ジャンルとのコラボや舞台音楽制作など、あらゆるアプローチで音の世界を描く東儀秀樹氏と、箏曲家として、またジャポニスム振興会副会長として内外の文化興隆に尽くす大谷祥子本願寺裏方。「音」を切り口に始まった対談は、いつしか日本人の感性、文化論、「生きる」ことの意義にまで広がり熱く盛り上がりました。ワクワクと胸おどるトークをお楽しみください。
海外での公演も多いおふたりですが、日本で公演なさる時と、客席の反応、音の捉え方などに違いは感じられますか?
東儀音の伝わり方、といったことでは、東西の違いはない、場所に関係はない、と僕の中では思っています。そもそも「雅楽」というのは2000年くらい前に大陸で生まれたもので、それが地球上で日本にだけ残っていて―、そういうところから「日本の伝統文化」と括られることが通常なんですが、遡ってみればね、その頃の大陸、いわゆるシルクロードと呼ばれる辺りなんて、ここから西、こちらは東、なんて分け隔てはないはずでしょう? いろんなものが行き交じって。おそらくその頃に、西とか東とか、そういう感覚を超越した音楽をつくる人が―、いや人じゃないな、そういう「空気」があったんでしょうね。だから海外、国内を問わず、また古典であれ、新作であれ、聴いてくださった方からは「はじめて聴いたのに、なんでこんなに懐かしい気分にさせられるんだ」という感想が圧倒的に多いんです。
大谷懐かしい気分、それはとても深く納得できますね。私も東儀さんの音の世界に心惹かれるひとりです。とくに「大河悠久」は大好きで、よくお琴で弾かせていただいていますよ。
東儀そうですか! それは嬉しいなあ。
大谷これまで邦楽家との共演では、他者の音を生かして、その中で自分の音を生かすということを第一にしていました。もちろんそれも大事なことですが、海外公演や洋楽器など異色の楽器とコラボする折には「自分の時空がつくれる」というのでしょうか、自由自在に動ける感じがしてワクワクします。
なぜ時空がつくれるか、と考えてみると、それは〝五線譜で表しきれない音〟を表現するのを得手とする邦楽器の為せるわざなのかな、と。邦楽譜に何も記されていない「白い部分」にこそ、うれしみ、悲しみ、優しみなどすべての思いがつくれる、と私は日ごろ思っていて、弟子にも「弾くことより、音を出さないところを大切に」とよく言うのですが。
東儀ああ、よくわかります。僕は「行間を読む」という日本語が好きなんです。全部を表現し尽くす、というのは、時にカッコ悪いし、退屈でもある。あえて最小限に留め、「読み取ってくれよ」と受け手に託すことで、奥深くにある心をほのめかす。そこに美学があり、余白が知識欲を刺激もする。それは音楽も同じだし、お茶やいけばなの世界でも然り、でしょう。たとえばミニマムに生けた花に宇宙を見る。そういう感性はあらゆる日本文化に影響している。心の在り様で変化を楽しむ、というのかな。均一化されていないものに美を見出し、愛でる、これは日本の、とてもいいところですね。
大谷自然の音に対する感覚も、日本人は繊細で独特ですよね。
東儀そう、たとえば虫の声。外国だとうるさいな、と窓をピシャッと閉めるけど、日本だと耳を傾けて「秋らしくなったね」と、季節の移ろいに心寄せる。さらに「この音色、鈴虫? 松虫だっけ?」なんて聞き分けて楽しんだりもする。風鈴を吊るしたりするのもそうですよね。実際に気温が変わるわけでもないのに、音で涼しくなろう、なんて。
大谷和菓子の「銘」などもそうですね。同じお菓子でも、季節で呼び名を変えてみたり。
東儀同じ素材で、口に入れたら同じじゃないか(笑)と思っても、名前を選び、色を工夫することで、聞いた瞬間、見た瞬間に涼を感じてもらおうとする。そこに情緒があり、「慮り」がある。そういう日本の感性のすべてが、音の世界に限らず、あらゆる日本文化にリンクしていると思うんです。
心にワクワクの種を撒く 東儀流・雅楽レクチャー
大谷日本にはこんなに素晴らしい文化や感性があるのに、多くの教育現場ではそれを伝え育むことが疎かになっているように思います。東儀さんは子どもたちに雅楽を指導される機会も多いかと思いますが、そのあたり、どうお考えでしょう?
東儀今、学校教育が画一化されて日本の感性や、子どもたちの個性が台なしにされている状況はありますね。それについてはもっと言いたいこともありますが、雅楽や日本の音、感性を伝える、といったことに話を戻せば、どんな時代にあっても、人間のコアな部分はそんなに変わるものではない、とも僕は信じています。今は少し忘れかけている。けど、失ってはいない。それなら呼び覚ますために、上手く、くすぐればいいんじゃないかな。
大谷くすぐる、ですか?
東儀そうです。子どもを集めて「日本文化は大切です」と口先で言ったところでどうしようもないでしょう。退屈して素通りしてしまうかもしれません。教科書に「雅楽」が載っていても若い世代に全然浸透していないのは、教え方がつまらないからです。いい教科書だとそこに東儀秀樹の写真が載ってたりするんですが(笑)。でも案外、僕がポップなこともやったり、テレビ番組に出ていたりして「あ、この人知ってる!」といったことが、興味を抱くきっかけになることもあるんですよ。入口のひとつとしてね。
たとえば僕が幼稚園の子たちに雅楽のレクチャーをする時はまず、「どんな曲が好き?」と聞いて「アンパンマン~!」となると、篳篥でアンパンマンをパッと吹いちゃう。これまで耳にしたことのない音で自分の大好きな曲を聴いた時の「あっ!」という瞬間。そこで一気に未知の楽器が身近になるんです。その後に、「これ、実は篳篥といって、とても古くからある楽器なんだけど、いつ頃からあると思う?」と聞くと「3年前~!」なんて答える子がいる。「いや、もっと古いよ」というと、今度は恐竜好きの子なんかが「1億年前~!!」(笑)。そういうコミュニケーションの中で子どもたちは、篳篥→古いもの→日本にそれが今も残っている といったことを心にしまってくれるわけです。その時に細かいディテールまで入っていかなくていいんです。その子たちが中学、高校生になり文化的な視点を持って篳篥に接した時に「あの時の、あれだ!」と、篳篥のアンパンマンの音色が鮮やかに甦り、新たな扉が開く。そういう過程が大事なんです。ただ、発信する者の責任として忘れてはいけないのは、求めてくれたらいつでも本物の雅楽を提供するからね、という揺るぎない素地をもっておくこと。古典はできないけど、これで勘弁ね、というアンパンマンなら聴かせてはいけない。
大谷指導者には、古典を習得した上での子ども向けの自由な発想が必要ですね。東儀さんのアンパンマンを聴いた子たちはとても幸せだと思います。
東儀巷では東京オリンピックに向けて、皆が英語を話せるように、なんて方針を立てたりもしているようですが、それ、ちょっと恥ずかしくないですか? そんなことより自分たちの国の文化に誇りを持つことのほうがよほど大事だし、その心があれば、訪れる人たちを胸を張って迎えられるのに。なんで行政の人たちは、そこに気づかないんだろう。
大谷本当に! 私たちジャポニスム振興会が目指すのも、まさにそこで、国際交流において一番必要とされるのは、自国の文化に誇りを持てる心。それを伝えたいと、さまざまな文化活動を行っています。外国に憧れて惚れるだけでなく、惚れさせる日本人であれ、と私は思っています。とくに次代を担う子どもたちには、日本人として誇りを持てる文化を小さい頃から身につけて世界へ羽ばたいていってほしい。そんな願いのもとに「伝統文化を未来へつなぐ会」を主催し、お能、お琴、日本舞踊、長唄などすぐれた講師陣のもとで体験してもらっています。東儀さんにもぜひ、ご指導賜わりたいです。
東儀もちろん、喜んで伺いますよ。
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