JAPONisme Vol.15 – 2017年秋
2017年10月1日発行 第15号
CONTENTS
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 法に悦び、句にあそび~句佛さんをご存知ですか?
- 飄逸の本願寺上人 山折哲雄
- 俳人句佛 今、見直したいその句境 坪内稔典
- Aphorisme Kubutsu 句佛上人・言の葉逍遥
- 句佛上人から金剛家へ 今も伝わる長絹のものがたり 縁の架け橋 金剛永謹
- 句佛さんの鳥づくし
- 祖父のこと 大谷暢順
- ジャポニスム振興会 お知らせ
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈七〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 六条山のたから筥③
今号の試し読み:
句佛上人から金剛家へ 今も伝わる長絹のものがたり 縁の架け橋
俳句、書画の才に留まらず、ひろく文化、芸能への
理解、造詣の深さで知られていた句佛上人。
なかでも能楽・金剛家との親交はことのほか深かったようです。
書簡や寄贈の装束など、ゆかりの品々を辿りつつ
金剛流宗家・金剛永謹氏にお話をうかがいました。
背面いっぱいに描かれた鳳凰が印象的な長絹は、句佛上人自らが図柄を描き、金剛謹之輔氏へと贈られたもの。謹之輔氏は明治、大正期の能楽界にこの人ありと誉れ高かった名手で、今の金剛宗家、金剛永謹氏の曾祖父にあたる方です。
声明の助けにも、と幼少期から謡に親しみ、いっときは仕舞の稽古にも力を入れたという句佛上人。謹之輔氏は贔屓の能楽師であると同時に、師弟の間柄でもあったことが、上人自筆の書簡や数々の著作物から偲ばれます。
〈金剛宗家・談〉もともと、本願寺さんのお能は金春流で、そのもとを辿れば織田信長の時代の下間少進という、武将でありながらお能の上手であった人の頃に遡るかと思います。ただ、時代が下り、西南の役で金春の役者の方々が戦渦に遭われるなどして、あとを謹之輔が請け負うようになったようです。当時、旧大名家や三井家など、名士の方々が集まって謡をしたり、能を舞ったり、という会が東京でも京都でもあったようですが、句佛上人はそういうところにも参加しておられたように聞いています。
頂戴した長絹には句佛上人が染毫を示す裏書きもしておられます。ふつう鳳凰の柄というと、豊臣秀吉ゆかりの赤地に鳳凰が五羽くらい配されたものが良く知られますが、これほど大きい図柄のものは珍しい。こういうものを着るのはうち(金剛流)の特長とも言えますね。
幸野楳嶺や竹内梄鳳に日本画を学び、俳画も多く描いた句佛上人が、とくに謹之輔氏にと筆を揮った記念の一領は、今も金剛宗家で保存され、原本はもちろん、堀井香坡、上村松篁による下絵で二度にわたる復原もなされ、代々、大切に受け継がれています。
〈宗家・談〉この長絹をつけて舞うのは特別の時だけです。演目でいうと「羽衣」の時にしか使いません。
金剛流の「羽衣」は、とくに舞が華やかで、天女が大空に舞い上がる様をあらわす終盤には、長絹が美しく翻るシーンがあると聞きます。この大胆な構図は、そんな舞の手を熟知する上人が、上背のある謹之輔氏の、より華麗闊達な舞台を想い、描かれたのでは……などと思い馳せると、上人の卓抜したセンスや演者への心入れが偲ばれるようです。
そのようなご縁から、昭和四十一年に行われた句佛上人二十五回忌法要の記念能では、この長絹をつけて往時の金剛流宗家巌氏による「羽衣」が演じられたことが記録に残っています。
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