JAPONisme Vol.16 – 2017年冬
2018年1月1日発行 第16号
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 酒ばなし 二十一世紀のさ・け 赤木明登
- 酒づくりの風景 水軍・松浦一族の末裔が醸す 阿波の旨酒
- 酒づくりの元のモト 「もやし」の話
- 酒・こぼれ話 潮待ちの港「鞆の浦」に伝わる薬味酒 保命酒
- 知ると楽しい! ちょこっとコラム
- お知らせ
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈八〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 六条山のたから筥④
今号の試し読み:潮待ちの港「鞆の浦」に伝わる薬味酒 保命酒
古来、歌に詠まれ、絵にも描かれた瀬戸内の景勝地、鞆の浦。満潮時には紀伊水道、豊後水道からの海流が流れ込み、干潮時にはまた、東西へと流れ出す。潮の流れの変わりめに位置するこの地は、航海に適す潮どきまで、しばし船を寄せる「潮待ちの港」として、多くの船、荷、そして人が行き交ったところ。この地に降り立つ人々が情報や文化をもたらし、また鞆の名産品を各地へ積み帰るといった交流、交易も頻繁で、鞆の浦は小さな港町ながら、古い歴史と進取の気風が交錯する、ゆたかな海の要所であったのです。
保命酒、その起こり
そんな鞆の浦で江戸時代よりつくられる伝説の酒が「保命酒」です。これは大阪の漢方医、中村家の子息、中村吉兵衛がこの地に移り住み、腕に覚えの薬剤の処方と、鞆で盛んであった醸造技術を、今でいうコラボさせて考案し、万治二年(1659)より売り出したという薬味酒。もち米で仕込む甘みの強い酒に焼酎を合わせた独自の原酒に十数種の生薬を漬け込んでつくる酒は、とろりと濃厚にして甘露、さらに漢方生薬の有難みもあいまって人々の知るところとなり、備後福山藩の名産、藩の御用酒として幕府への献上品に。また大名や豪商の贈答品として人気を博したそうです。
「これは売れる」とばかりに、各地で似たような薬味酒がつくられだすと、それを阻止すべく中村家が奔走。福山藩の庇護を得て、製造、販売ともに独占し鞆の浦で繁栄を極めた様子は、今も残る豪壮な屋敷跡(太田家住宅として国の重要文化財に指定)からも偲ばれます。
この中村家、酒造りだけでなく販路を広げる才にも長けていたようで、備前焼はじめ、伊予の砥部焼、備後の洞仙焼など、保命酒をいれる徳利にも趣向をこらし、贈答品としての価値を付加。それら贅沢な徳利が、津々浦々の大名屋敷や城跡から見つかっています。また保命酒は、嘉永七年(1854)、日米和親条約締結後、宴の席でペリーにも饗されたとの記録があるほか、高杉晋作も保命酒を日記にしるし、鞆に滞在歴のある坂本竜馬もおそらく……など、歴史を動かしたあの人、この人が口にしたことでも知られています。
四軒の蔵元、それぞれの酒味
さて、そんな歴史を持つ保命酒が、今、どのように伝わっているのか、現存する最古参の保命酒蔵元「鞆酒造」の社長で、保命酒協同組合長でもある岡本純夫さんにお話を聞くと―。
「明治以降、藩がなくなって専売が解けたことによって、保命酒をつくる蔵が新たに出てきました。多い時は鞆に八、九軒もあったそうですが、今は四軒です。もち米でできた酒の中に“地黄”を主に使った薬味酒、という共通項はありながら、四軒それぞれに、使っている生薬の種類も微妙に違います。私のところはワリと薬っぽさを残す製法ですが、ハーブ系の軽い仕上がりのところもあったり。四軒それぞれに特色があるんで、ぜひ飲み比べて好みの味を見つけてください」とのこと。
どの店でも試飲できると聞き、さっそく飲み比べてみると、なるほど、比べてみれば色も風味も、ラベルもじつに個性ゆたか。近年、元祖である中村家に残る文書が新たに解読され、古式のレシピを復元するなど、保命酒のルーツに迫る取組みも為されるいっぽう、現存の四軒それぞれにも工夫の配合があり「今の時代の保命酒」があらたなファンを増やしてもいる様子も。さらに保命酒を使った飴やスイーツなどを開発する蔵もあって、楽しみ方の幅も広がっているようです。
鞆の歴史とともに歩み、時流に揉まれながらも数百年。この地のみでつくり、守られ、今また進化を遂げ―。その尽きせぬ底力こそ、「命を保つ」と称する酒の妙味、何よりの醍醐味かもしれません。機会があればぜひ。多くの要人たちを酔わせた琥珀の美酒を、味わってみてはいかがでしょう。
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