JAPONisme Vol.20 – 2019冬春
2019年3月1日発行 第20号
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 次世代に繋ぎたい、日本のこころ。
- 裏千家大宗匠・十五代家元 千玄室
- 作家 曽野綾子
- 庭師・桜守 佐野藤右衛門
- 百姓・石工 髙開文雄
- 日本初の女性報道写真家 笹本恒子
- ロングインタビュー 目を開け、心を向けよ!~日本と日本人の明日のために 大谷暢順(聞き手 大谷祥子)
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈十二〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 六条山のたから筥⑧
今号の試し読み:裏千家大宗匠・十五代家元 千玄室
私が日頃、親しんで愛唱する万葉の歌に、次のようなものがあります。
大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
海原は 鴎立ち立つ 美(うま)し国そ 蜻蛉島(あきつしま) 大和の国は
これは舒明天皇が詠まれた望国(くにみ)の歌で、万葉集巻一の二に収められる御製歌(おほみうた)です。大和には数々の山があるが、とりわけ優れた香具山の頂きから国を見渡せば、家々からは炊飯の煙が絶えず、海原には鴎が飛び交う。なんと豊かに、美しい国であることか。大和国は──。ということですね。
現実には香具山の山頂に立ったところで、都合よく煙など立っていなかったでしょう。まして海原など見えない。せいぜい川ですよ。鴎もいない。しかし舒明天皇は、そこに理想を見られたのですね。のどかで、平和で、美しい、自然と共に在る我が国。その光景を歌に詠んで言挙げし、大自然の神々に、言霊を以って斯くあれと祈ったわけです。
私は旧制中学の頃、「万葉を読め」とうるさく仰る先生から、このような歌の大意とともに、日本は御霊(みたま)を尊ぶ国、霊魂を大事にする国であると教えられました。八百万のものに神霊が宿り、山の霊は「山霊(オロチ)」、水の霊は「水霊(ミチ)」、田の霊は「田霊(タチ)」。霊はすなわち「チ=血」であり、山にも、水にも、土にも血が通い、みな生きている。そしてお前たちは皆、その血を亨けている、と。「あぁ、そうであるのか」と胸に響きました。
現代はどうですか? 開発につぐ開発、伐採につぐ伐採。そうして、山も川も、血の通わぬ死地にしておきながら、各地で起こる山崩れや洪水に右往左往している。昔の人はこういうことを、学問としてでなく、自分の肉体や心と重ね合わせて、自然の理を知り、そこに宿るものへの畏敬の念を持っていたと思います。これはつまり、日本は神仏、「か
み、ほとけの国」であるという意識が厳然とあったということ。信仰がどう、という以前に「神、仏とともに在る」。この意識が日本全土にあり、日本人の心の力強さの源になっていた。その精神性が長くこの国を支えてきたのです。
独自の文化、精神性を育んだ日本
その根っこは何処へ
また、この国は「情」の国、情けの国であることも教えられました。「情」とは人を慮り、寄り添う心。人さまに対する思いやり。人を先に、我を後にする謙譲の心です。
茶の道とはまさしく、その思いやりの心を現実にあらわしたものですが、お茶をする、しないに関わらず、かつては家々の小さなちゃぶ台のまわりにも、一つのものを分け合い、ありがとう、といただく感謝の心があり、それを疎かにすると「バチが当たる」と子どもを躾ける謙虚な弁(わきま)えがありました。
日本とは古来、そういう国であるのです。蒙古の襲来以外、さほど外敵の侵攻に脅かされることなく、四季に恵まれた自然の中で、独自の文化、精神性を育んできた。明治の開国の折も諸外国からの脅威に晒されながらも、独特の存在感を示して、からくも国の尊厳を守った。それが昭和の初め、軍部の台頭、的確な情報の欠如によって、日本は起こさなくてもよい戦を起こして、負けた。結果、占領政策のもとに、日本を支えていた精神性、拠りどころを根こそぎ引っこ抜かれ、アメリカのやり方を植え付けられた。
私は何も、昔は良かったと懐古を述べるのではありません。アメリカを非難するのでもない。ただ、日本人がなぜ、いとも簡単に自国の歴史を、文化を、美しい風習を蔑(ないがし)ろにして、全く成り立ちの違う他国のシステムを甘受し、民主主義というと聞こえは良いが、国として何の統一感もない、足並みの揃わない状態に成り果てているのか。また、大事な教育制度までアメリカナイズされることを諾々と受け入れ、今以て、それを改めようとしないのか。その現状が、悲しい。残念だ。
教育制度に関しては、私も再三、旧制、一貫教育であるべきだと叫んで日教組と喧嘩もしましたが……。最近では一貫教育の良さを認め、取り入れるところも出てきて、それは喜ばしい。しかし教育の内容に関してはどうか。例えば『万葉集』、『古事記』、『日本書紀』、教えはするでしょうが、大抵は素通りと違いますか? この国がどのように成り立ち、どのように国造りが為されていったのか。日本人であるならば、しっかり読んでおくべきだと思います。
曲解されてしまった「大和魂」
本来の、意味するところとは──
もうひとつ、正しく知ってほしい言葉に「大和魂」があります。残念なことにこの言葉は戦争中、軍国主義の象徴のように解釈され、そのイメージばかりが先行している。けれど、もともとは情をもって物ごとや人の心を解する、日本古来の柔らかな心。〝やまとごころ〟ですね。これは『源氏物語』の「少女(をとめ)」の巻にも出てきます。
なほ 才(ざえ)をもととしてこそ
大和魂の世に用ゐらるる方も強うはべらめ
光源氏が息子の夕霧の教育を考える時に、学問で得た知識に、「大和魂」つまり情の心の働きが加わればそれほどの強みはない、と考えるシーンです。当時の最先端の学問は漢学ですから、いわば「和魂漢才」。千年以上も前に、いくらハイレベルの学問であろうと輸入ものの才知だけではいけない、この国ならではの情、和の魂が備わってこそ、ということを看破していた作者の慧眼には驚かされます。
何ごとも魂が入ることにより、血が通い、自らのものとなる。型に血を入れることで「形(かた・ち)」になるのです。
お茶も同じです。このお茶をあなたにさしあげたいと思って一生懸命に点てる。その思いによって血が通う。よくお茶盌を何回まわすのですか?と聞かれますが、あれは、まわすのではない。〝正面を避ける〟という気持ちです。その配慮を致す一瞬、自分を省みる。謙虚になる。お互いに半歩下がるという精神状態になる。その心根を以てすれば、決して人とぶつかることはない。争うことはない。そういう教えを父から、ひいては千利休から、一盌のお茶を通じて伝えられてきました。その教えを、汎く世の中の人に伝えることができたら、本当の平和が訪れる。若い人たちに本当の未来が拓かれる。その信念のもと「一盌からピースフルネスを」という言葉を掲げて世界を周ってきました。国籍、身分の差別なし、区別なし、皆で一緒に一盌のお茶をいただく。そのお茶の心が平和に繋がると信じたのです。これは自ら飛行機乗りとして戦争へ行き、多くの仲間を失い、自分は生き残った。そこで生かされた意義に対しての私なりの身の挺し方、祈りの行脚でもあります。
戦争は嫌ですよ。あんな経験は二度といけない。ただ我々は、明日のないあの時代、国を思い、母を思い、家族を思い、毅然と自国を守ろうとした。戦争は間違いだが、そのようにして守ろうとした愛する母国であり、その大きな犠牲の上にある今日の日本なのです。当時の若者のように命を捧げろと言うのではありません。そんなこと断じてあってはならない。しかし、戦争を否定することと、日本が本来持っている良いところを否定するのとは違う。そこを間違えず、自国にプライドを持ってほしい。そのためにはもっと自分の国の歴史に、文化に、芸術に目を向け、堂々と海外に紹介できるようになってほしい。「日本人らしさ」を身につけてほしいのです。それができて初めて、誇りある外交、国際交流ができる。私はそう考えています。
千 玄室(せん げんしつ) 茶道裏千家第15代家元
1923年京都生まれ。学徒出陣で海軍航空隊入隊。特攻隊に配属されるも九死に一生を得て復員。1951年パスポートも無い時代に初渡米。ホームステイをしながら茶道を通して日本文化とその精神を広めるべく活動を始める。1964年裏千家今日庵主として宗室を襲名。2002年家元を16代に譲り、玄室と改名。その間、一貫して「一盌からピースフルネスを」の理念のもと世界を歴訪し平和活動を展開。文化勲章はじめ国内外での叙勲、受賞多数。茶道書に留まらず『いい人ぶらずに生きてみよう』など現代人への示唆に富む著作が多くの人の支持を集める。
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