JAPONisme Vol.21 – 2019年夏
2019年7月1日発行 第21号
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- ニッポンの鼓動を未来へ 吉田兄弟の駆ける道
- じょんから今昔ばなし―お国がら、お人がら 二代目今重造・一川明宏
- 三味線・解体新書
- 旅する音色 重森三果
- 夏休みの子どもたちへ 大谷祥子(ジャポニスム振興会副会長)
- お知らせ
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈十三〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 六条山のたから筥⑨
今号の試し読み:ニッポンの鼓動を未来へ 吉田兄弟の駆ける道
Keyword 1 スペイン
──2019年5月、吉田兄弟はスペインのバルセロナ交響楽団とのステージで、彼らに向けて作曲された「2つの三味線のための協奏曲」を初演。7月にはオーチャードホールはじめ4ヶ所の日本公演を控える。
〈健一〉クラシックとの共演は今までも経験がありますが、今回はまったく「別物」でしたね。この企画は、僕が文化庁の文化交流使としてスペインに行っていた時、バルセロナ交響楽団の音楽監督に就任された大野和士さんと話す中から生まれたのですが、まずは作曲のファビア・サントコフスキーに、津軽三味線奏者の僕らのできること、テクニックをプレゼンし、彼自身もまた三味線の楽譜が書けるレベルまでに楽器を理解して、というところからのスタート。4年くらいの時間をかけて実現したことなんです。そして曲が完成し、ソリストとして敬意を以て楽団の公演に招んでもらっているわけですが、極東の民族楽器をちょっと取り入れてみよう、というのとは違う。三味線もまたオーケストラの楽器のひとつとして、あの音の中にどう入るか、存在するか。向こうの求める音の世界と、自分たちの三味線のスキルをどうMIXできるか。そういう課題がありましたね。
〈良一郎〉これまで吉田兄弟として色んなチャレンジをしてきましたけど、それとはまた違う次元で、〝こんなこともできる〟と、次の世代に見せられるような挑戦ができたと思います。まったく別の観点から津軽三味線を見た表現方法、というのかな。目指す音を作り出すために、奏法、技法も細かく指定されたり。そういう意味では、三味線という楽器が持つ「可能性への挑戦」でもありました。
〈健一〉きっとこれから、公演のたびに曲が成長していくと思うんです。そして直近の公演は日本。ぜひ多くの方に、前人未踏の、津軽三味線のための「協奏曲」を聴いていただきたいですし、僕たちも、1ステージごとにさらに何ができるか、三味線の未来をどんな風に創造していけるか。楽しみながら挑んでいきたいと思っています。
Keyword 2 北海道そだち
──彼らの出身は北海道、登別。兄が5歳の時、エレクトーンをはじめた友だちを見て「僕も何かやりたい」と言うと、父から洗面器とスコップの柄を繋ぎ合わせた手作り楽器を渡された。それが三味線とのファーストコンタクト。弟もまた5歳から。二人を三味線の世界へ導いた父は、若き日、プロ奏者を夢見たことがあったという。
〈良一郎〉手ほどきは近所の先生に、その後、僕が12歳、弟が10歳の時、佐々木流の家元に入門し、札幌の稽古場に通いました。
〈健一〉小学校高学年になって、だんだん「人と違うことをしてる」気恥ずかしさもあって、中学に入ったらヤメよう、と二人で話し合ったりもしてたんですけどね(笑)。
〈良一郎〉当時、稽古場には百人ほどもの名取(流派名を名乗ることのできる熟練者)がいらして、子どもは預からないと仰っていた師匠ですが、通えることになってからは本当によく教えていただきました。
〈健一〉例えば津軽じょんから節とか、よされ節とか、タイトルに沿って稽古をするけれど、同じ曲を習っていても、次に行った時には内容が全然違う。でも師匠に「この間と違います」とは言えないから必死でついていく。出来た、と思うと、また変わる。
〈良一郎〉その繰り返しの中で、津軽三味線とはアドリブ性の強いものなんだ、と。
〈健一〉あと、「いずれ君たちは海外へ出ていくんだから」と、稽古の前に英語のレクチャーもあったり(笑)。いつも僕たちの行く末を見てくださっていました。
〈良一郎〉津軽三味線に全国大会があることもそこではじめて知り、賞を取りたい、という目標も生まれた。ヤメよう、ダサい、と思っていた三味線が、スゴイ! カッコいい! に変わっていくんです。その後、僕たちは流派を離れることになりますが、師匠のもとでの4年間は、吉田兄弟の基礎をつくる貴重な時間でした。
僕たちは北海道で生まれ、北海道で三味線を仕込まれた。これが青森であったなら、否応なく、もっと型にはまる必要があったはず。北海道で自由にやらせていただいたことが、後々の表現方法の広がりに繋がっていると思います。津軽三味線というと吹雪、荒波といった印象が強くて、もちろんそういう原風景も大事だろうけど、それだけじゃないと思う。僕は、それだけじゃないところを表現したいんです。
吉田兄弟(よしだきょうだい)
吉田良一郎 Ryoichiro-Yoshida
1977年 北海道生まれ。5歳より三味線を習い始める。津軽三味線全国大会(弘前)を皮切りに数々の大会で上位を収め上京。民謡酒場で修業を経て、1999年、弟、健一とともに「吉田兄弟」としてメジャーデビュー。吉田兄弟としての活動のほか、津軽三味線、尺八、箏、太鼓からなる新・純邦楽ユニット「WASABI」を結成。子どもたちに和楽器の生の音、「日本の心 和の響き」を届けるべく学校公演も精力的に行っている。
吉田健一 Kenichi-Yoshida
1979年 北海道生まれ。兄、良一郎に続き5歳より三味線を習い、同じく多くの大会で受賞を重ねる。早くから作曲も手がけ、デビューアルバム「いぶき」には、自身作曲の「モダン」、「いぶき」を収録。2005年より、この世界ではタブーとされた〝流派を超えた津軽三味線ユニット〟「疾風」を結成。そのプロデュースも手掛ける。2015年文化庁文化交流使に任命され、スペインはじめヨーロッパ各国で活動。現在もカタルーニャ高等音楽院で津軽三味線の指導を続ける。
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