JAPONisme Vol.24 – 2020年春
2020年4月1日発行 第24号
- こころの道標(みちしるべ) 大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 藍を感じ 藍を信じる 土井善晴
- 阿波藍探訪~蒅(すくも)が生み出すジャパンブルー
01 ジャパンブルー上板(技の館)
02 新居製藍所〼(藍師)
03 STUDIO N2(本藍染)
04 藍工房 ふたあい(本藍染)
05 アワガミファクトリー(紙漉き) - 世界の藍、地球の藍~藍色は人類共有の財産 新道弘之
- ジャポニスム倶楽部
- 活動報告
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈十六〉 山折哲雄(ジャポニスム振興会特別顧問)
- 六条山のたから筥⑫
今号の試し読み:世界の藍、地球の藍~藍色は人類共有の財産 新道弘之
藍染作家として、また著名なコレクターとして内外に知られる新道弘之さんに、その魅力の一端を紐解いていただきました。
僕は若い頃に藍色に魅せられて、半世紀にわたり藍染めによる制作活動をしてきました。藍好きがこうじて収集してきたコレクションを「ちいさな藍美術館」で公開しています。収集した藍染めは日本だけでなく、アジア、アフリカ、ヨーロッパにおよぶのですが、あらためて気がついたことがありました。
「藍染めというのは、日本独特の文化だと思っていたのですけれど、海外にもあることを始めて知ってビックリしました」と感想を述べられる来館者が多くおられるのです。
東京オリンピックのエンブレムは藍色、〝広重ブルー〟とか〝ジャパンブルー〟 という言葉が生まれたように、確かに藍は日本を象徴する色であることは間違いありません。しかし、藍色は断じて日本人だけのものではありません。古今東西を問わず、藍は世界中の人達を魅了してきた、全人類が共有する色でもあるのです。
ヨーロッパの藍、ウォード
地球上を見渡せば、藍染めの為に栽培されてきた主要な植物は3種あります。ヨーロッパのウォード(アブラナ科)インドのインディゴフェラ(豆科)アジアのペリシカリア(蓼科)です。
ヨーロッパでは太古よりウォードで、主にウールの毛織物や糸が盛んに染められてきました。
例えば、ナポレオンが率いるフランス軍の軍服は茜と藍で染められていたそうです。このオシャレな羅紗の軍服も、派手すぎて敵の標的になりやすく、多くの戦死者を出したという、笑えない逸話がのこされています。
ウォードはインド藍がヨーロッパにもたらされると、その座をインド藍に奪われ、また19世紀にドイツで化学藍が製造されはじめるとほとんど姿を消してしまいました。そのレシピや実態はほとんど解っていないのが現実です。
最近ではヨーロッパで幻の藍となったウォードの研究や復興が試みられています。
悪魔の染料!? インド藍の到来
16世紀にバスコ・ダ・ガマが喜望峰をまわる新航路を発見して大航海時代がおとずれ、インド更紗、インド藍、木綿、お茶、香料など、大量の物資がヨーロッパに輸入されるようになりました。特にインド藍は、ウォードや日本の藍のように、堆肥の状態にして染料に供するのではなく、収穫した藍を巨大なプール状のタンクの中で発酵させて、酸化させた藍色素をタンクの底に沈殿させてコンパクトな藍錠にする製造法だったので嵩張らずに輸送にも適していたのです。
インド藍の到来はヨーロッパの職人を驚かせました。安価である上に、ウォードに比べて、藍の含有率も高かったので、たちまちヨーロッパの職人にひろまりました。驚いたのは藍職人だけではありませんでした。主要産地だったフランス、イギリス、ドイツでは、それまでウォードによる税収で巨万の利益を得ていたので、なんとかインド藍の流入をくい止めてウォードの保護政策に乗り出します。ナポレオン一世はインド藍を「悪魔の染料」と呼んで使用を禁止するおふれを出したり、インド藍を使用した職人は縛り首に処すという法律までできたのですが、結果としてはインド藍の優位を認めざるを得ないことになったのです。その後、スペインやイギリスは植民地である中米や北米でインド藍による藍のプランテーションを設立して大儲けを企み、おおきな利益をヨーロッパにもたらしたのでした。
女性たちを飾ったブループリント
ヨーロッパには「ブループリント」と呼ばれる藍染めがあります。僕のコレクションの中からフランスやハンガリーで染められたブループリントをご覧ください。これはインドの木版染めの技法をヒントにして生まれたヨーロッパ独特の藍染めです。特に東欧のハンガリーやチェコのブループリントには、その地方独特の自然風物をモチーフに表現した素晴らしいものが多く、民俗衣裳やテーブルクロスとして庶民に珍重されました。日曜日の礼拝や村のお祭りには、女性たちは競って藍染め衣裳でオシャレをして出かけるのが楽しみだったそうです。
ヨーロッパのブループリントは日本の型染めに似通うところがあります。日本では型紙に模様を彫り、お米の糊で防染して藍甕に浸して染めましたが、ヨーロッパでは真鍮のピンが打ち込まれた木版を使い、カオリン(細かい土)にアラビアゴム等を混ぜて作った糊を布の上に押して防染して藍に浸しました。使う用具にはそれぞれの国柄が出ていますが、そのメソッドには洋の東西を越えて相通ずる職人の発想、工夫が見受けられます。
私たちの地球は、天空から深海まで、圧倒的にブルーに包まれています。私たちの祖先は、このブルーに憧れ、癒され、守られ、その色を「身に纏う」ことを切望したのでしょう。そしてどうにかして、その望みを叶えたいと試みを繰り返したことでしょう。しかしながら、いかにして、緑色の植物から青色を引き出して染める方法を発見したのでしょうか。
この秘密を解き明かして藍色を染める事のできた職人はわずかでした。けれど彼らのあくなき探究と功績によって、地球上の各地、それぞれの土地柄の中で、青色を引き出す植物が見つけられ、秘密が紐解かれ、藍の色が実現されていったのです。それらさまざまな「藍」こそが私たちに青色の衣服を着ることを許し、私たちを幸せにしてくれたのでした。
最後に、僕の友人で、イギリスの藍研究者のジェニーバルファーの言葉を皆様に伝えます。
新道弘之(しんどうひろゆき)
ちいさな藍美術館
京都府南丹市美山町北上牧41
TEL. 0771-77-0746
www.shindo-shindigo.com
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