方便 ho-ben
「嘘も方便」という言葉があります。人は目的を遂げるためにあえて嘘をついたり、自身を正当化することがあるものです。途中で本当のことを知らされず、後で憤慨したときに、相手から「嘘も方便」と無理矢理納得させられた苦い経験をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。どちらかというと都合のいい、マイナスのイメージで使われることの多い言葉です。
本来、この「方便」とは、仏教用語です。原語のサンスクリット語では、「接近する」、「到達する」という意味の動詞から派生した単語に対応し、「衆生(しゅじょう)」、つまり、我々生きとし生けるものを真実の教えに導くためのすぐれた教化方法を意味します。そして、方便には、真実へ導くために、真実と異なるものを用いる場合と、真実そのものが、ある形で現れる場合があります。
お釈迦様は「対機説法(たいきせっぽう)」といって、話す相手や、相手の状態によって説き方を変えたと言われています。たとえば、子供を亡くし、生き返らせる薬を求める母親には、「死人を出したことのない家からけしの実をもらってきなさい」と話しました。母親はほうぼう死人を出したことのない家を探すわけですが、そんな家はあるはずもなく、そこで、死はすべての人に共通するものという無常の真実に気づくわけです。お釈迦様は真実に導くために、現実に存在しないことを探させるという方便を使ったのです。
また、浄土真宗では、御本尊である阿弥陀仏が絵像の場合は必ず、「方便法身尊形『ほうべんほっしんそんぎょう』」と裏書されています。この場合は、真実そのものである阿弥陀仏が、我々を真実に導くためにあえて人の認識能力に合わせた形を成して現れているのです。
ある仏師は、一心にのみを打ち続けていると、やがて仏様と出逢うものと語っていました。「こんな形に彫ろう」と自らの心で考えて進めてしまうとなかなかうまくいかないそうです。これもまた、仏像制作を通して仏法を求道する仏師の心の中に、方便という形で仏様が現れ、それが仏像となって多くの人々を真理に導く機縁となるのでしょう。
- 『広辞苑・第四版』(岩波書店)
- 『岩波仏教辞典』(岩波書店)
- 『中村元選集第13巻 仏弟子の生涯』(春秋社)