自然 ji-nen
「自然」の語で何を思い浮かべますか?
人の手が加わっていない、あるがままの状態や現象、山、川、海をまずは思い浮かべるのではないでしょうか。
この「自然」ですが、日本では古来「しぜん」「じねん」と二通りの読みが行われ、「じねん」の方が一般的でした。現在も仏教語としては「じねん」と読み、「自ずからあるがままにあること、そのようにあること」を意味します。
親鸞聖人は「自ずから然らしむ(自ずから、そうあらしめられる)」と読み、人間のはからいを超えた阿弥陀仏のはからいによる救いをあらわす語とされました。
親鸞聖人が書かれた『浄土和讃』(和語で仏等を讃歎した讃歌の一種)の中にある、浄土の様子を表す一首をご紹介しましょう。
清風宝樹(しょうふうほうじゅ)をふくときは
いつつの音声(おんじょう)いだしつつ
宮(きゅう)商(しょう)和して自然(じねん)なり
清浄勲(しょうじょうくん)を礼(らい)すべし
これは、浄土にある宝(金・銀・瑠璃・玻璃・珊瑚・瑪瑙・硨磲〈しゃこ〉)で飾られた樹林に清らかな風が吹き渡ると、五つの音階が聞こえ、不協和音であるはずの宮と商(西洋音階のドとレに相当)が自然に調和している。そのような世界をおつくりになった清浄勲(阿弥陀如来)を敬って礼拝せずにはいられない、という意味です。
目に鮮やかで、美しい調べとともに肌をとおる気持ちのよい風が感じられる清らかな世界を表す一首です。浄土とは、すべてのものが調和し、争うことのない世界なのです。
この清らかな浄土に対する世界を、「穢土(えど)」といいます。文字通り、穢れた国土という意味です。煩悩によって穢れた世界、すなわち、自己中心的な心から離れられない私たちの住む、この世のことです。
私たちはこの穢土において、常に自分が正しいと考えて、互いに争い、不協和音を鳴り響かせています。そんな私たちに、阿弥陀仏とその浄土の「自然」のあり方は、人生のあるべき方向性を指し示してくれているのではないでしょうか。
- 『岩波仏教辞典』(岩波書店)
- 『浄土真宗辞典』(本願寺出版社)
- 『新・仏教辞典 第三版』(誠信書房)
- 『三帖和讃の意訳と解説』(永田文昌堂)