金剛 kon-go
金剛石とはダイヤモンドのことですが、「金剛」も仏教由来の言葉です。
今号で特集の江戸切子は、「金剛砂(こんごうしゃ)」と呼ばれる細粒状の研磨剤でガラスを磨き上げていきます。
では「金剛」とはどういうものでしょう。広辞苑によると「金剛」は、「金属の中で最も硬いもの。ダイヤモンド。転じて極めて堅固でどんなものにもこわされないもの」です。
仏教には「金剛心」という言葉もあります。堅固で破壊されない心のことです。浄土真宗では、他力の信心のことを指します。人はどんなに強い心を求めても、自身では絶対的な意思を持てない。阿弥陀仏から差し伸べられている救いの心(=他力の信心)は阿弥陀仏の心そのものであるから壊れないということを示しています。本願寺第八世蓮如上人にまつわる「嫁威し肉付きの面(よめおどしにくづきのめん)」という伝説の中にも登場します。
蓮如上人が越前の国吉崎に滞在中、人々はこぞって吉崎御坊に参詣しました。その中にお清(きよ)という若い嫁がおり、毎晩熱心に御坊にお参りしていました。姑は、そんな嫁が気に入らず、御坊に参る邪魔をしようと企てます。ある晩、お清が家を出たのを見計らい、姑は、藪の中で恐ろしい鬼の面をつけて待ち伏せました。姑はやってきたお清の前に飛び出し、おどかしました。ところが、お清は、「食(は)まば食め 喰らわば喰らえ 金剛の 他力の信はよもや食むまじ」(私を食べるなら食べなさい。しかし、阿弥陀仏からいただいた他力の信心は、決して食べることなどできやしない)と叫び、念仏を唱えつづけるのでした。嫁威しが失敗に終わり、姑は面を外そうとしますが、顔の肉に面がへばりついて外れません。そこへ姑を探しにきたお清に、姑は全てを正直に打ち明け、お清に詫びました。お清は、姑とともに御坊に訪れ、蓮如上人に一部始終を話しました。上人が鬼の面に手をかけると面はコロリと外れました。自らを悔いる姑に対し、上人は、悔いる心ある者は必ず阿弥陀仏に救われると諭しました。以来、姑は熱心に嫁と共に御坊に通うようになりました。
このお話では、自身が鬼に食べられんとしている時ですら揺るがない他力の信心を「金剛」という言葉で表現しています。移ろい変わる世の中で、私たちは「金剛」なものを持っているでしょうか?
- 『岩波仏教辞典』(岩波書店)
- 『広辞苑』(岩波書店)