花と森の本願寺〈13〉山折哲雄(YAMAORI Tetsuo)
このあいだ、久しぶりにふるさとの花巻に行ってきた。
やはり、なつかしい。街並みはすっかり変ってしまっていたけれど、北上川や森のたたずまいは昔のままだった。
変化といえば、昔は、出身地を問われて「花巻」と答えると、「ああ、宮沢賢治だね」と言葉が返ってきたが、このごろは「大谷翔平の出たところか」の反応がほとんどである。
どうも宮沢賢治が大谷翔平選手の前で風前のともしびになりつつある気配である。
賢治といえば、誰でも知っているのが、「雨ニモ負ケズ」であろう。この詩は今や国内はもとより海外でも広く知られるようになった。
そのなかで、このごろになってしきりに思い出されるのが、最後の方に出てくるつぎの一節である。
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ
ところがいつのころからか、そこに出てくる「デクノボー」という言葉が、どうしたことか親鸞さんの「愚禿(ぐとく)」という言葉にしだいに近づき、重なり合い、そのなかに吸収されていくようになった。この言葉は『教行信証』の「あとがき」に出てくる。
愚禿釈の鸞
雑行を棄てて本願に帰す
愚禿とは愚かな坊主頭のこと、その愚かな「トク」が賢治のいうデクノボーの「デク」に一直線に結びつくようになったのだ。
われは愚かなデクノボーだ。
それが親鸞のあらたな名乗りだったのではないか。
デクは木偶で人形のこと。花巻には名物の花巻こけしがあるが、その木偶のこけしは、いつも、何もいわずに、微笑を浮かべて、そこに立っている。