JAPONismeVol.34-2024年春「遊びをせんとや~心揺るがす、日本の遊びワールド」
2024年4月1日発行 第34号
- 「本願寺法主 大谷暢順の超・仏教書」大谷暢順(ジャポニスム振興会会長)
- 【巻頭スペシャルインタビュー】人の遊び、ゴリラの遊び 山極壽一
- 今様 激動期の天皇を救った遊芸 朧谷壽
- 京都判じ絵めぐり 岩崎均史
- 遊びと道楽 三代目桂春蝶
- お知らせ ジャポニスム倶楽部
- ジャポニスム・六条山通信 花と森の本願寺〈二十六〉山折哲雄
- 六条山のたから筥㉑
今号の試し読み:遊びと道楽 三代目桂春蝶
そんなイメージの強い「道楽」。
しかしこの言葉のもとには
「道を楽う」という仏教用語
「道楽」があると言います。
落語に登場する、愛すべき道楽者たちの姿を手がかりに
気鋭の噺家、三代目 桂春蝶さんに
「遊びと道楽」についてお話を
伺いました。
実直な⁉ 道楽者たち
落語に出てくる道楽者といえば、やっぱり若旦那ですね。いや、いろんな人がいてますよ。鍼に凝る人、芝居にハマる人。なかでも歌舞伎なんかは、当時、大衆の遊びの最も象徴的なものだったと思いますが、「七段目」という落語に出てくる若旦那は、その遊びの世界にハマり過ぎて、日常のすべてが歌舞伎調になってしまい、大旦那に意見されると「ハハァ、拙者、重々のあやまり」と武士になったり、この家の先々が案じられると嘆かれると「そりゃ、ワラワとて同じこと」と今度は女方になったり。まあ、丁稚を巻き込んであれやこれやと騒動を起こしたりもするんですが、やっぱりそういう若旦那に対してね、僕は「生きる達人」だなと思うんですよね。その世界を心底、好きで、愛して、そこに時間を費やして、影響を受けて、自分の生活丸ごと塗り替えて楽しんでいるというのが。周りは溜まったもんじゃないけど(笑)。
でもね、彼らだってウカウカと遊んでるわけじゃないんです。たとえば「七段目」の若旦那、いったいどれほど芝居に通っているのかと問われて「月に2日は……」、聞くほうは一瞬、なんや2日程度かと思うでしょ? でも次に続く言葉が「休ませてもろてます」。つまり、大の月なら29日間は通い詰めるわけです。これ、もう〝実直〟ですやん? 僕は仏教用語の「道楽」てよく知りませんでしたけど、それが道をねがう、道を求める意味を持つならば、若旦那もまさしく道を求めてると思います。
超ストイックな遊び人、親鸞
本願寺さんの冊子でこんなこと言うとお叱りを受けるかもしれませんが、僕の中で長年、この人、本当に人生遊び尽くしたな、道楽極めてるよな、と思ってる人物は「親鸞」なんです。
親鸞さんって、こう、じっと鏡を見てね、その鏡の中の自分に「誰や、お前」「お前、何がしとうてここにいるねん」「お前の欲望って何やねん」「お前の業って何やねん」というのを、一生問い続けた人ではないか、と。ここまでストイックな遊びって、ありますか? 少なくとも僕の中では、その思いがずっとあったんです。それで、この人の言葉を落語の中に落とし込んで、自分の中に溶け込ませないと──、という思いに駆られて、『鏡の中の親鸞 〜歎異抄より〜』という落語をつくりました。
僕、10年あまり前から「落語で伝えたい想い」シリーズという新作落語を発表させてもらってまして。『明日ある君へ 知覧特攻物語』『約束の海 エルトゥールル号物語』『ニナイカライで逢いましょう ひめゆり学徒秘抄録』『行と業 わたしは千日回峰行を生きました』……、今年はちょうどそれが10作目となって、テーマは「太陽の塔」。岡本太郎がなぜ、あの塔をつくったかという話を縄文時代から紐解く新作を準備中です。このシリーズに関しては、「それ、噺家のやることなの?」とか、激しく賛否ご意見あるんですけど……、それでもね。座布団の上で〝自分が本当に思っていること、伝えたいこと〟というのを、きれいに整えて語っていけば、それはもう、一本の落語になるんじゃないかと、僕は信じてやってるんですけど──。
じつはこの取材のテーマをいただいた時から考えてたんですよ、僕自身の遊び、道楽て、なんや? って。でも、ない(笑)。ただ一つだけ、これカッコつけてるんじゃないですよ、本気で言うんですけど、僕の道楽はやっぱり「落語」なんです。僕にとって落語以上に楽しい遊びはないんです。これ以上の刺激はない。と同時に、これほど苦しいこともないんです。比叡山の回峰行のことも落語にさせてもらってますけど、それと一緒にしたらダメなんですけど、どこか似てるというか。僕の中の回峰行、みたいなところもあると思います。苦しいんだけど、幸せ。自分を苦しめているものが、最後の最後に、自分の人生を前へと歩ませる灯火になる──。
え? お前が一番の道楽者? あ、それ、ドストライク‼ 結局そういうことなんです。理屈でどうこう説明はできませんけど、僕もまた、落語の中の若旦那をお手本に、それこそ実直に、真剣に、道楽させてもろてるんです。
先の万博に学ぶ、道楽の極意
遊びと道楽……、考えてみても、僕の中で明確な線引きがある訳ではありません。けど、一つ言えるのは自分の中に嘘がないか、納得しているか、ほんまにオモロイと思っているか。その状態にもっていってるかどうかというのは常に意識してると思います。
遊びにせよ、道楽にせよ、一見軽い、楽しげな言葉ですが、やっぱり僕のイメージとしては「楽しい」に辿り着くまでに物凄い山坂がある。というか、自分の中でとことん嘘を排除していく、誤魔化しを効かせない、そのための苦しいところの積み重ねがないと、心底楽しむ境地には絶対に至らないと、僕は思ってます。
たとえば今度の新作のテーマ「太陽の塔」にしても、岡本太郎が、大建築家・丹下健三へ70年の大阪万博のメイン会場として設計したお祭り広場の大屋根に「穴を開けさせていただくよ」と、破壊に近いような制作案を提示する。片や丹下健三は、おそらく並大抵でない計画変更を呑み込んで「それで万博が完成だわ」と太郎に言ったという。どっちも凄いですよね? 今、そんな命がけの道楽する大人がいてますか? 僕も大阪人で、次の万博も成功してほしいと願ってますよ。けれどあの時の、前の万博に学ぶなら、信念を持ち、責任をもって道楽を尽くした、ああいう大人たちの姿勢をもっと見るべきと違うかな、と思うんですよ。
え? 話がカタい? よう言われます(笑)。でも、嘘はついてない。もしかしたら、そこかなあ……、道楽の定義。何と言われようが、自分に、魂に、嘘はつかずに「何で? そこまで?」と言われることを、苦しみつつも、とことんやる。その向こうに、図らずも何かがある、と信じてるんですね。
三代目 桂春蝶(かつら しゅんちょう)
落語家
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