花と森の本願寺〈4〉山折哲雄(YAMAORI Tetsuo)
亡命中のダライ・ラマ14世が、この11月9日に六条山を訪れ、東山浄苑の大谷暢順台下と会談されたという。残念ながら私はその場に居合わすことができなかったが、その知らせをきいて、以前チベットのラサに旅したときのことを思い出した。
1986年のことだから、もう30年前になる。母校の山岳会がラサの北方にそびえる未踏峯に登山隊を送るという企てがあり、同時に学術調査隊も派遣しようということになって、それに参加したのだった。
成田を発ち、飛行機を乗り継いで3日目にラサに着いたため、たちまち高山病にかかってしまった。2日ほどは動けなかったが、やや落ち着いてから街に出かけることにした。その日は5月1日のメーデーにあたり、公園ではおびただしい人々が家族づれでやってきて賑わっていた。ゴザを敷きテントを張って、もう宴会をはじめているのもいる。
見物がてらぶらぶら歩いていると、あちこちから山口百恵さんのうたう独特の歌声がきこえてきた。そのメロディーがラジカセを通して空に舞い上がっていたのである。
翌日になって、こんどは中心街にあるチョカン寺の盛り場に出かけてみた。そこのバザールにはいくつかのミュージックショップがあるのに気づき、入ってみて驚いた。そこには山口百恵さんのカセットが山と積まれ、それがダライ・ラマ法王の説教集のカセットと競い合うほどだった。これはもう、山口百恵は間違いなくチベットで流行っていると思わないわけにはいかなかったのだ。
私が直観したのは、ラサの風土が百恵さんのあの乾いた歌声にぴったりだ、ということだった。ラサの高度は4,000メートル、富士山頂とほぼ同じ高さであるが、大気は酸素が稀薄で、空気がカラカラに乾いている。頭上には太陽が間近に迫ってギラギラ輝いていた。こういう風土では美空ひばりさんの「悲しい酒」よりは百恵さんのうたう「プレイバックパート2」のような、天空に突き抜けていく軽やかなリズムの方がいかにも似合う、そう思ったのである。