花と森の本願寺〈8〉山折哲雄(YAMAORI Tetsuo)
芭蕉は「奥の細道」に旅立つ以前、ふるさとへの長途の旅に出ていた。伊勢から大和へ廻り、美濃・近江へとさすらっている。それがあとから「野ざらし紀行」となった。「野ざらし」とはしゃれこうべのこと、最後は行き倒れてもかまわない、という覚悟の出立だった。
この旅日記のはじめの方に、かれは自分の境涯をかえりみるように、こんなことを書いている。
僧にして塵あり
俗にして髪なし
自分は僧の格好はしているけれども
心の中は俗人そのまま、煩悩の塊だ。
では、たんなる俗界の人間かといえば、
そうではない。なぜなら頭の髪だけは
せめてもの剃り落として坊主らしく
しているからである。
ずい分以前のことになるが、私はこの一文を芭蕉の文章のなかにみつけたとき、それはほとんど親鸞のいっていることと同じではないかと思った。なぜなら聖人はその『教行信証』という大著の巻末のところで、自分の生き方を指して
非僧 僧に非ず
非俗 俗に非ず
であるといっているからである。
これは芭蕉のいっていることを、もっと端的に、それこそ凝縮していっているのではないだろうか。
面白いというか、不思議だと思うのは、芭蕉がそのようなことをいっていた親鸞の存在に一言半句ふれてはいない、ということである。だからかれが親鸞のことについて知っていたのか、それとも知っていて知らんふりをしているのか、よくわからなかった。
けれどもやがて私は、それはどうでもよいことではないかと思うようになった。人間というのはある成熟の段階で、誰でもそのようなことを考えるのではないか、と思うようになったからである。